【聖王歴128年 黄の月 9日 夜】

<港町アクアリア 西の港>

フロスト王国東の港を出港してから三日と半日。

俺達は何事も無く港町アクアリアへ到着した。

……いや、何事も無かったわけではなく、ユピテルは船から降りるや否や、近くのベンチに倒れ込んで横になった。

『す、凄かっ……た……ガクッ』

他の面々はエレナのヒールとアンチドートのおかげでどうにか耐えられたものの、とにかくジュエル大陸近海での海流が尋常ではなかった。

往路は「妙に船の進みが悪いな。やっぱ旅客船に比べて推力がイマイチなのかな~?」なんて思っていたのだけど、実は非常に強い逆向きの波を魔力で打ち破りながら突き進んでいたらしい。

ところが復路はそれの真逆……つまりはその波に乗る形で、商船がぶっ飛ばして帰ってきたわけである。

その速度と揺れたるや、全員で船室にこもって柱に掴まっていないと耐えられない程。

勇者カネミツが安全のために豪華客船を選んでいた理由を、まさかこんな形で思い知る事になろうとは……。

「ガハハ、情けねーな若ェの! これぞアクアリア名物、引きの海流よ!」

ちなみに、グロッキー状態のユピテルを笑いながらペシペシ叩いている船乗りのおっちゃん曰く、今ほど航海技術が発達する以前のアクアリア港にはフロスト王国への直行便は無かったらしい。

その理由は言うまでもなく前述の「引きの海流」とやらのせいなのだけど、激流ゆえにフロスト王国から流れ着いた神竜が海を泳いで帰れなくなり、そのまま大陸に住み着いてしまった~……なんて伝承も残っているんだそうな。

「ねえねえ、ユピテル大丈夫ー?」

『こ、このまま馬車に乗ったら出そう……』

何が出てしまうのかはあえて聞くまい。

そもそも、夜遅くに聖王都向けの馬車なんぞ出ているわけもなく、俺はユピテルをおんぶしながらアクアリアの宿屋へ向かったのであった。

……背中に出されない事を祈りながら。

<港町アクアリア 宿屋>

この町の宿は一階が酒場で二階が客室というオーソドックスな造りで、夜も更けた頃合いのためか一階の酒場はなかなかの賑わいのようだ。

早速、俺は泊まる部屋を確保しようと入り口へ入ると……

『~♪』

酒場の奥にある小さなステージから歌声が聞こえてきた。

歌っていたのは夜の酒場にはあまりにも不釣り合いなチビッコだったけれど、幼いのは見た目だけで、その実年齢は俺よりも遙か年上であろう。

――光の精霊スイメイ

約半月ほど前に俺達が出会い、ひょんな事からここ港町アクアリアの『第二の歌姫』としてデビューした、正真正銘の歌手である。

『へえ、大陸では精霊が人里で歌うんすね』

『激……レア』

サツキのフードから顔を覗かせたハルルとフルルが物珍しそうに眺めている。

だが、正直なところ大陸側(おれたち)から見てもあれは激レアである。

しばらく眺めていると、俺達が来てから二曲歌ったところでステージが終わり、スイメイが満足した様子でこちらにトトトッと走ってきた。

『やっほー、おかえりー♪』

先程までの美しい歌声から一転、やたら幼い声で手をブンブン振る姿は、どこからどう見てもお子様なんだよなぁ。

「なんだ、気づいてたのか」

『君達がこちらに向かってる時点で把握してたの。おにーさんとおねーさんの魔力は特徴的だからすぐ捕捉できるし』

そういえば、スイメイは遠方をストーキング……もとい、監視する能力に長けていたんだった。

まあ、初めて (俺は二回目に)会った時のスイメイがそれを悪用した結果、エレナにコテンパンにやっつけられてしまったのだけど。

「ところで、どうして酒場で歌ってたんだ? マリネラと一緒に歌姫やってたはずだろ」

『マリネラは今、エメラシティにお仕事に行ってるよー。わたしも一緒に行きたいって言ったんだけど、町長さんが残ってくれって懇願してきたの』

「あー、なるほどなー」

スイメイが町の守り神的に信仰されているから、ヨソの街に出て行かれては困るというのもあるだろうけど、どちらかと言うと「観光目的」で来た人を出迎えるために町に残って欲しいというのが本音であろう。

エレナもそれを察したのか、何とも複雑そうな表情である。

『精霊を使って町おこしとは……』

『あはは。でも、わたしを頼ってくれるのは悪い気はしないの♪ ……って、あれれ???』

スイメイはサツキの首元から顔を覗かせていた二人に気づいて、そちらに向かってぴょんと飛んだ。

『へー、雪の妖精かぁ。面白い子達を連れてきたんだねー』

『私的には、酒場でめっちゃ熱唱してる光の精霊の方が、面白さのレベルが圧倒的に格上だと思うっす』

『僕達はまだまだ……修行が足りない。だけど……いつか追いついてみせる』

フルルがいったい何の修行をするつもりなのか気になるところではあるけど、やる気満々なフルルの姿に、スイメイは不適な笑みを浮かべるとステージを指差した。

『どうやら君はわたしに挑む気だね? それじゃ、今の実力を見せてもらうのっ!』

『ふふふ……承知した』

「えっ、何この展開!?」

よく分からないけど、どうやらフルルが歌う事になってしまったようだ。

自信満々の表情でフワフワと浮いてステージへと向かうフルルの姿に、ハルルは困り顔でオロオロするばかり。

それに気づいたサツキがキョトンと首を傾げる。

「どしたの?」

「えっ、えーっと……その……フルルはちょっと、特徴的というか、えーっと!」

こんなに奥歯に物が挟まったような言い方をするなんて、ハルルにしては珍しいな~~と、楽観的に考えていた矢先――

【危機感知】

聴覚デバフ 強

何故このタイミングで危機感知スキルが発動?

聴覚デバフって、宿にセイレーンでも来たのか???

だが、様々な要因が頭をよぎる中、俺は「一つの可能性」に辿り着いた!

「エレナ! 急いで防御魔法っ!!!」

『は、はいっ!?』

エレナの理解はまだ追いついていないようだが、俺の言葉が命令として解釈されたのか、困惑した表情のまま目の前にホーリーシールドを展開。

そして――

『一番……雪の妖精フルル。持ち歌……いきます』

◇◇

<港町アクアリア 北の泉>

「どうしてこうなった……!」

ここは、かつてエレナが大暴れしたアクアリア北の泉。

そんな泉の前で、俺達は野宿していた。

『時代が……っ! 時代がフルルの素晴らしさに追いついてないだけなんすよ!!』

「うるせー! フルルが歌う直前にムチャクチャ焦ってたくせに、何を今更しらばっくれてんだ!」

『うぐぅ!』

さて、どうして俺達はこんな所に居るのかというと、フルルの必殺呪文キルゼムオール……もとい、人知を大幅に逸脱した驚異の歌唱力(オンチ)によって多数の被害者を出して宿を追い出されたわけである。

マリネラとスイメイの歌で多くの人々を感動させるのを見て、歌の力は凄いと思っていたけれど、まさか歌だけで人を昏倒させる事が出来るとは……。

そんな大惨事の当事者たるフルル本人はというと、無表情ながら大変不満そうな顔でハルルを見つめていた。

『姉さん』

『ふ、フルルっ! ち、ちがっ、違うっすよ……!』

泣きそうな顔で妹の両肩を掴むが、フルルは無表情のまま顔を背けた。

『僕の歌……好きって言ってたのに……嘘つき』

『ギャアアアアアアアーーーーーーーっ!!』

ドボーーーーーンッ!!

妹の心を傷つけてしまった己の罪深さに耐えられず、ハルルは泉に身投げしてしまった。

『……』

ぶくぶくと沈んでゆく姉を無言で見つめる姿が何とも物悲しい。

かける言葉が見つからないとは、まさにこういう事を言うのだろう。

だが、ここでついにエレナが立ち上がり、フルルの前にやってきた。

『あ、あのっ。フルルさんっ! 実は、私もあまり歌は得意じゃなくてですねっ!』

『歌を聞いた人が……泡を吹いて倒れた事……ある?』

『……』

エレナは悲しそうな顔で泉にぶくぶくと沈んでいった。

ていうか二人とも打たれ弱いなっ!?

「フルル……」

サツキが困り顔で話しかけると、フルルは首を横に振った。

『ありがとう……でも大丈夫だから。これからは……皆に迷惑はかけない』

フルルが悲しそうに呟くと――

『そんなのダメなの!!!』

『!?』

それまで泉の中で黙っていたスイメイが、真剣な表情で叫んだ。

『この町で一番……ううん、世界一の歌姫マリネラだって、最初はへたっぴーだったの! だけど決して諦めず、たとえ耳が腐るような歌でも、ここで毎日歌って練習してたの!!』

「言い方ァーーーー!!!」

だが、俺のツッコミを華麗にスルーしたまま二人は話を続ける。

『でも……僕は……これ以上誰も傷つけたく……ない……』

『大丈夫なのっ。わたしが、君を立派な"あーちすと"に育ててみせるの!』

『おお……お師匠様……!』

フルルは無表情ながら喜びに身を震わせて、スイメイの手をひしっと握った。

「何なんすかこの展開」

『代弁ありがとう。でも私の口調をマネしないでほしいっす』

目の前で繰り広げられるスイメイとフルルの寸劇に、俺達は唖然とするばかり。

だが、そんな置いてけぼりな俺達の目の前で、スイメイがとんでもない提案をしてきた。

『さあ、善は急げなの。今から練習なのっ!』

『「っ!!!!!!!!」』

突然の状況に、全員に緊張が走る!

そして、泉に沈んでいたはずのハルルとエレナが焦りの表情で飛び出してきた!

『う、うおおおおーーーフロスト・エレメンタルシールドォォっ!』

『セイクリッド・ホーリーシールドーー!!』

雪の妖精による氷の防壁と、水の精霊による聖なる防壁!

その二つが互いに重なり合い、強固な魔力フィールドが展開された!!

そして――

『一番……雪の妖精フルル。十八番(おはこ)……いきます』







その翌日、聖王都プラテナ行きの乗り合い馬車には、まるでアンデッドのように生気の抜けた四人の旅人が、虚ろな目で乗っていたという……。