ふと目を覚ました瞬間、違和感を覚えた。
とはいえ、視界に映っている光景が見覚えがないのも、見知らぬ天井が広がっているのも、ある種当然のことだ。
むしろ初めて泊まる場所で見覚えがある方が驚きであり、ゆえにソーマが覚えた違和感はそれらのことではなかった。
隣にあるはずの気配が、なかったのだ。
眠る前の記憶は鮮明に残っており、寝ている最中に誰かが侵入してきたという形跡はない。
もしもそうならば気付き、目覚めているはずだ。
となれば、残された可能性は限られている。
それを確かめようと真横に顔を向け――目が合った。
「ふむ……何してるのである?」
「……朝の挨拶はおはようよ。忘れたのかしら?」
無論覚えてはいるが、真横で寝ているはずの少女の姿を探したら、その少女がベッドの向こう側で顔を半分隠すようにしてこちらの様子を窺っていたら、誰だって第一声は何をしているのか、になるに違いない。
だが朝の挨拶が大切だということには同感であった。
「おはようなのである、アイナ」
「………………おはよう」
「何故不服そうなのである?」
望まれた通り挨拶をしたらジト目を向けられるとは、どういうことなのか。
解せぬと呟くと、顔が半分しか見えてないにも関わらず、アイナが溜息を吐き出したことが分かった。
「……何であんたは普通なのよ」
「うん? まあ、見ての通りいつも通りであるが? ふむ……何かにあたって腹を下した、ということではないであるよな?」
「…………はぁ。なんかもう、馬鹿らしくなってきたわ。ていうかそうよね、あんたはそういうやつよね……はぁ」
そういって呟き、溜息を吐き出すと、アイナは唐突に立ち上がった。
首を傾げるこちらに構わず、そのまま歩き出す。
「とりあえず、先に着替えてくるわ」
「了解なのである」
その姿に相変わらず首を傾げるも、おそらく尋ねたところで答えは返ってはこないのだろう。
ふむと呟くと、とりあえず身体を起こし、一つ伸びをする。
窓の外に視線を移すと、青く晴れ渡った空が広がっていた。
当たり前のことではあるが、聖都だろうと皇都だろうと、ラディウスの王都であろうとも空は変わらない。
ならば今日の一日もいつも通り何とかなるのだろうと、そんなことを思いながら、ソーマは息を一つ吐き出した。
そういえば、目覚めはしたものの、これからどうすればいいのだろうか。
ソーマがそんなことをふと思ったのは、二人して着替え終わった直後のことであった。
ちなみに、寝巻きに関しては最初から部屋に置かれており、元々着ていた服に関してはアイナの魔法により洗浄されている。
洗浄される光景を前に、ソーマが魔法の有益性を再認識すると共に妬ましさを視線に乗せたりしてもいたが……ともあれそういったわけで、ソーマ達は昨日と同じ服を清潔な状態で身につけていた。
そしてこれはこのまま帰っていいのだろうか、などと考えていた時のことである。
扉が数度ノックされたのだ。
「ふむ……昨日の使用人あたりであるかな?」
「そうね……朝食の案内か、これからあたし達がどうすればいいのかを知らせに来てくれた、といったところかしら?」
そんなことを言いながら、それほど考えもせずに扉へと向かい、開き――閉じた。
反射的にアイナと顔を見合わせると、首を傾げる。
「なにか今、見えてはいけないものが見えた気がするのであるが?」
「奇遇ね、あたしも同じものが見えていた気がするわ」
そこで気のせい、ということに出来ればよかったのだが、生憎とそう上手くはいかなかった。
今度は扉の方から開き、その人物が姿を見せたからである。
「ふはっはっは! どうした、突然妾の顔を見て驚いたか……!? まあ、この妾の美貌が突然目の前に現れたら驚くのも無理ないことではあろうがな……!」
高笑いと共に現れたのは、間違いなくヴィクトリアであった。
いや、確かに城主でもあることを考えればいるのはおかしくないのだろうが、客室に単身やってくるというのはおかしいだろう。
「さすがの我輩も驚きである」
「この状況で驚かない人の方が少ないわよ……」
ちらりと横目で眺めてみれば、アイナは頬を引き攣らせ、今すぐ有り得ないとでも叫びそうな表情をしていた。
とはいえ皇帝が目の前にいる以上は、そんなことができるわけもない。
ヴィクトリアがいなければ本当に叫んでいたかもしれないが、いなければそもそもそんな驚愕を覚えていないのだから無意味な仮定である。
尚、ソーマは確かに驚きはしたものの、その驚きは想定していなかったからだ。
逆に言えばそれは一過性のものであり、この場にいるということを受け入れてしまえば消えてしまう。
故にソーマの中に残ったのは、疑問だけであった。
「それで、皇帝がわざわざ客室に来るなど何事である? まさか我輩達を驚かせたかったから、などと理由ではあるまい? まあもしそれが理由ならばもう達成されたわけではあるが」
「……あんたって本当に物怖じしないわよね。まあ、そういったところで大分助けられてるのも事実なんだけど」
「物怖じしたところで何がどうなるわけでもないであるしな。それで、どうなのである?」
「ふむ……無論、妾がわざわざ来たことには意味があるぞ? もっとも、その理由も既に半分以上が果たされた後だがな」
「半分以上果たされた、であるか……?」
そう言って首を傾げるものの、正直ソーマには思い当たるものがなかった。
敢えて半分以上という言い方をするということは、少なくとも二つ以上あるということだろう。
だがそれこそ、驚かされた、という以外に思い当たるものはないのだが――
「うむ、一つ目は、其方達の驚いた顔を見ること、だな。そして二つ目が、そもそも其方の顔を見ること、だ。夜が明けたと思ったらいても立ってもいられなくなってしまってな。こうして見にきてしまった、というわけだ」
「……っ!?」
ヴィクトリアの言葉にアイナは目を見開き驚いていたが、きっとその言葉の意味するところはアイナの考えているようなものではあるまい。
ヴィクトリアの目にあるものは色っぽいものではなく、まるで商品として並べられている玩具を目の前にした子供のようだったからだ。
昨日とは随分と態度が違うような気がするが……まあ、どうでもいいと言えばどうでもいいことか。
「ふむ……なるほど。で、三つ目は何なのである?」
「むぅ……ろくに反応もせんとはつれぬな。まあ、よい。妾の魅力を知る機会はこれから幾らでもあるのだろうからな」
「む……? これから幾らでも、であるか……?」
「その話をする前に、まずは朝食を食べぬか? それが用件の三つ目であるがゆえな」
何か考えているのは間違いないだろう。
問題があるとしたら、それが一体何か、といったところだが……考えたところで分かるものではあるまい。
そして何にせよ、腹ごしらえは必要だ。
アイナと目配せをし合うと、頷く。
「ま、断る理由はないであるかな」
「そうね。どうせどこかで用意する必要はあるもの。用意してくれるっていうのなら、厚意に甘えていいんじゃないかしら?」
それが本当に厚意ならば、の話ではあるが、そんなことはアイナも承知の上だろう。
それに今更何かをするとも考えづらい。
何かするつもりならば昨日のうちにしていただろうからだ。
そうして油断させておいて、という可能性もあるかもしれないが、そんなことを言い出したら何も出来ない。
そもそも敵陣にいる時点で、何をするにしても腹をくくる必要はあるのだ。
「うむ、腕によりをかけさせたからな。期待しておくとよいと思うぞ?」
そう言ってヴィクトリアは笑みを浮かべるが、そこにある感情を見渡す事が出来ないのは昨日と同じだ。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
頭に浮かんだありきたりの言葉を肩をすくめながら、さてどうなるものやらと、ソーマはヴィクトリアの笑みを眺めながら、目を細めるのであった。