ふと、目が覚めた。
瞬間視界に映し出されたのは白い天井であり、備え付けられた蛍光灯だ。
とはいえ、白いとは言っても病院のそれではないし、蛍光灯に光が灯ってもいない。
極普通の、見慣れた自室の朝の天井であった。
そしてそれを認識したのと、耳元でけたたましい音が鳴り出したのはほぼ同時だ。
しかし反射的に手が伸び、叩いた瞬間にその音は止む。
僅かに遅れて視線を向ければ、自身の枕元に置かれていたそれ――目覚まし時計は、短針が七を、長針が十二を指していた。
七時と、そういうわけであり――
「……ふむ?」
ソーマがそう呟き、首を僅かに傾げた直後のことであった。
扉の開く音と共に、聞き覚えのある声が耳に届いたのだ。
「ソーマさん朝です……って、やっぱり起きているんですね。相変わらず起こし甲斐がないです……」
声に視線を向ければ、扉から顔を見せていたのはやはり見知った姿であった。
が、身に纏っているその服に見覚えはない。
否……より正確に言うならば、見覚えのない組み合わせであった。
ついでに言えば、何故この人物がここに、というところでもあるのだが――
「ふむ……フェリシア、でいいのであるよな?」
「はい? え、っと……見たままですけれど……別の誰かに見えたりします?」
「いや、そういうわけではないのであるが……」
「……もしかして、寝ぼけているんですか? くすっ、珍しいですね」
そう言って笑みを浮かべる姿は、確かにフェリシアで間違いないようであった。
だがそうなると、疑問は増すばかりである。
しかし続けて言葉を発するよりも先に、フェリシアはその場で背を向けた。
「さ、珍しいものを見れましたけれど、あまりのんびりしていては遅刻してしまいますしね。言われなくても分かっているとは思いますけれど、ソーマさんも急いでくださいね?」
「遅刻、であるか……何に、である?」
「あれ? 本当に寝ぼけていますか? 本当に珍しいですね……」
きょとんとした不思議そうな顔で、フェリシアが振り返る。
そして。
「何にって、学校に、に決まっているじゃないですか」
前世の頃に通っていた高校の制服を着たフェリシアは、そんな言葉を口にしたのであった。
色々と疑問はあったものの、とりあえず起き上がったソーマは、壁にかけてあった見覚えのある制服を身に纏った後で見慣れた部屋を後にした。
部屋の外に広がっていたのもまた、見慣れたものだ。
正面と左側には、他の部屋へと繋がっている廊下が続いており、右側には若干螺旋状になっている下へと降りるための階段がある。
他の部屋がどうなっているのだろうかと少し悩んだものの、結局は階段へと足を向けた。
十程度の段を下りきれば、正面にあるのは玄関だ。
左右それぞれに扉があるが、迷うことなく左へと向かう。
途端に声が溢れるも、まだ誰の姿も見えない。
扉の先の部屋を素通りし、半開きの扉を開ければ、そこには見慣れた三つの顔があった。
「あ、ソーマさんようやく下りてきましたね。先ほども少し様子がおかしかったですけれど……もしかして、お疲れですか?」
「いや、別にそういうわけではないのであるが……」
その一人であるフェリシアに言葉を返しながら、視線を巡らせる。
そこにあったのもやはり、見慣れた光景だ。
六人が座れる程度の横長のコタツテーブルの上には湯気を立てている朝食が並び、テレビの中では朝のニュースが流れている。
一人座り新聞を読んでいた人物が、新聞から顔を上げ――
「……ソーマか、おはよう。確かに今日は少し遅かったな」
「そうね。特に問題はないけれど、確かに少し珍しいかもしれないわね。まあ、とりあえずは座りなさい、ソーマ。朝食にするわよ。ああ、それと、おはよう、ソーマ」
「……うむ、おはようなのである、父上、母上」
そこにいたのがクラウスであり、台所から姿を見せたのがソフィアであることに、ソーマは自分でも説明の付かない感情を吐き出すように息を吐き出した。
安堵であるような、落胆であるような……まあ、一つだけ確かなのは、疑問が増えたということである。
しかし何にせよ、朝食だ。
特に迷うことなく自然と足の向いた場所に苦笑を漏らしながら座れば、その前に自分の分の朝食が並べられていく。
並べていっているのは、フェリシアだ。
「ふむ、すまんであるな、フェリシア」
「いえ、幾ら幼馴染とはいえ、私はお世話になっている方ですからね。このぐらいのお手伝いは当然です」
「ふむ……」
何やらまた新しい情報が出てきたが、ここまで来ると一度全ての情報を出し終えてから考えた方が早いかもしれない。
そんなことを考えている間にテーブルの上には朝食が並べ終わり、フェリシアと母も席に着く。
父も新聞を折り畳むと、皆がほぼ同時に手を合わせた。
「いただきます」
四つの声が重なったことに、何とも不思議な感覚を覚える。
何ということのない言葉ではあるが、今生でこれを口にした人物は、ソーマの知る限りでは伊織しかいなかったのだ。
なのに今は当たり前のように、この三人も口にしていた。
そのことに対し、違和感とまでは言わないまでも、少し妙な感覚を覚えたのである。
まあ、この状況を考えれば、一つや二つ変なものが増えたところで今更ではあるのだが。
「ソーマさん? どうかしましたか?」
「いや、何でもないのである」
どうやら幼馴染ということになっているらしい少女の不思議そうな視線を受けながら、箸に手を伸ばす。
そういえば箸を使うのも随分と久しぶりだと思ったものの、意外と覚えているものらしい。
あるいはこのよく分からない状況のせいなのかもしれないが、何にせよ何の問題もなく、伸ばした先のものを掴む。
小鉢に入った煮物だ。
量が少ないのは、おそらく昨日の余りだからだろう。
よく染み込んでいる色が、そのことを示している。
だがということは、味もまた染み込んでいるということだ。
そのまま口に放り込めば、予想通りの味が口の中へと広がった。
しかし、予想通りであったからこそ、ソーマは同時に違和感を覚える。
その味は知っているものではあったが……ソフィアの作り出した料理から感じるものではないはずだからだ。
意外と覚えているものなのだな、などと頭の片隅で思うものの、違和感が消えることはない。
「ふむ……」
何気なく三人の様子を伺うが、当然のように彼女達が違和感のようなものを覚えているような様子はない。
まるで今までずっとそうであったかのように、談笑をしながら食事を続けていく。
その姿に、ソーマはもう一度、ふむと呟く。
「さて……これは一体、どういう状況なのであろうな」
彼女達の談笑と、テレビから流れてくる音に紛れ、その声は誰の耳に届くこともなく消えていく。
そのことも含め、ソーマは見慣れた、二度と見ることのないはずの天井を眺めながら、一つ息を吐き出すのであった。