『それ』は一見少女のような形をしていた。
顔立ちは整っており、街を歩いていれば十人中十人が振り向くだろう程度には美少女だ。
さらには重圧にも似たような空気を纏っているため、たとえ人ごみの中にいたところで人目を引かざるを得ないだろう。
ただしそれは、別の意味も含んだ視線となるだろうが。
白髪赤瞳。
この世界ではとある存在を意味するそれと同じものがそこにはあり……だが、ソーマが瞠目したのは、それが理由ではなかった。
そんな些細でどうでもいいことは、気に留めてすらいない。
ソーマが気になったのは、ただ一つ。
その雰囲気であった。
エレオノーラと同等……いや、比較してしまったら、エレオノーラですらただの人なのではないかと思ってしまう程度にはそれは強烈なものだ。
そしてソーマは、『それ』が纏う空気がどういった意味を持つものなのかということを、よく知っていた。
ヒルデガルドが纏っているものと、同種だったからである。
即ち――
「なるほど……ある意味での全ての元凶。要するに、この世界に残されたという最後の神、というわけであるか」
聖都の奥で待ち構えているのに、これほど相応しい存在もいまい。
ついでに言うのであれば、第五の王でありながら、エレオノーラがあくまでも聖都の名目上の主でしかないと言ったのも納得だ。
仕えるべき神がそこにいるのであれば、どんな人物であろうともその上に立つことなど出来るわけがないだろう。
「ふふ、即座に正答を導き出した上に、それが分かっていながらもボクに臆したりすることはない、か。さすが、って言うべきかな?」
「さて……我輩は汝にそんな風に言われる心当たりがないのであるが?」
「それはさすがに自分のことを過小評価しすぎだと思うけどね。あるいは、こちらのことを、かな? そうじゃないかい? ――次期剣の王」
「……なるほど、言われてみればそうであったな」
七天の王の選定を行っているのは、聖都ということになっている。
そしてソーマは今から五年以上前に次期剣の王の内定を受けているのだ。
ソーマのことはある程度調べられていると考えて間違いあるまい。
しかも自身の前世については、自らの口で以てエレオノーラへと伝えている。
聖都のトップが神そのものだということは、それも含めて全ての情報は神に筒抜けということであり、だからこそのさすが、ということなのだろう。
もっとも、実質的にこの世界に残った最後の一柱であるということを考えれば、伝えるまでもなく全てを知っていたところでおかしくはないのだが――
「うーん……キミが何を考えているのかは何となく分かっているのだけれど、過小評価はして欲しくないけど、キミの考えてることはきっと過大評価かな」
「そうなのであるか?」
「うん。確かにボクはこの世界に残った唯一の神として全知全能の力を振るう権利が与えられているけれど、実際には全知はまったく使えないんだよね。ついでに言うならば全能の方もほぼ使えないと言っていい」
「ふむ……ああ、だからこそのエレオノーラ、ということであるか」
「さすが、話が早くて助かるよ」
自身で全てが出来るのであれば、名目上のトップなどというお飾りは必要あるまい。
ならば逆説的に言って、自分だけでは全てをすることは出来ない、ということなのだ。
「それは話に伝え聞く邪神とやらをどうにかしたことで、というわけであるか?」
「まあ、そうだね、大体そんなところかな。邪神と呼ばれるようになってしまった彼女を止めるには、ボクでは無理だった。だから色々と手を凝らし品を変え様々な可能性を試し……で、最後の手段まで使って何とか倒すことが出来たところまでは良かったんだけどさ。その後始末を終えるのに結局二百年ほど使って、そこから二百年ほど眠りについた。だけどそれでも力はまったく戻らなくてね、ちょくちょく寝ては起きてを繰り返して……まあ、キミを待たせることになったのもそれが原因、というわけさ」
「そういえば、エレオノーラがもう少し早く起きると思っていた、とか言っていたであるな」
「ここ最近のサティア様は、十日寝た後で一日起きる、という周期を繰り返していましたですの。それで、五日前がその起きる日だったはずなのですが……」
「いや、すまないね、盛大に寝坊してしまってさ。キミを五日も待たせてしまった、というわけだ」
その言葉を嘘だと思ったのは、ただの直感であった。
だが同時に、確信を持った直感でもある。
少なくともソーマは、自身の考えを間違いないと思っていた。
それでも口に出す事がなかったのは、それが必要なことだったのだろうということもまた直感的に感じ取っていたからだ。
わざわざ嘘を吐く理由は不明だが……聞かずとも、おそらくはそう遠くないうちに分かるだろう。
それもまた、直感的に感じ取ったものであった。
「ふふ……キミは本当にさすがだよね。そこまで来ると怖いぐらいだけど」
「……? どうかしたんですの?」
「いや、何でもないさ。ただの独り言だよ。さて、ともあれそういうわけでキミのことを散々待たせてしまったわけだけど……退屈ではなかったかな?」
「そんなことはなかったであるぞ? むしろ色々と興味深くもあったであるな。エレオノーラが用意してくれた本があったであるからな」
そう、エレオノーラ自身も言っていたものの、あの本の山はソーマが暇を潰すために用意されたものなのだ。
そのため待っている間も暇ではなく、むしろ有意義ですらあった。
何故ならば、そこに書かれていたことの多くはソーマにとって初見のものであったからだ。
聖神教そのものはこの世界に大分広まっているものの、聖都に関しては知られていないことも多い。
それは秘密主義というよりは、単純に聖神教の信徒以外が興味を示すことがないからだ。
そして興味を示すことがなければ、それらの情報が外に出てくるはずもない、というわけである。
その中にはソーマが知りたくとも中々情報を入手することが出来なかったものも含まれており――
「特に法術に関しては興味深かったであるな。もっと詳細を知りたいぐらいだったのであるが……」
「まあ、キミはやっぱりそこに興味を示すだろうね。とはいえ、さすがに法術に関しては気軽に教えるわけにはいかない……ってことは別にないんだけど、単純にアレの仕組みを正確に理解してるのってボクだけだから、エレオノーラであろうとも説明することは出来ないんだよね。まあキミが望むのであれば、ボクが教えても構わないんだけど」
「ほぅ……?」
神から直々に教えを請う機会が与えられるなど、随分と太っ腹な話である。
聖神教徒であれば、きっと泣いて喜ぶべき場面だろう。
実際エレオノーラからは羨ましげな視線を向けられている。
しかし生憎とソーマは聖神教徒ではないし、ここで素直に喜ぶほど純粋でもない。
何を企んでいるのやらと目を細めれば、『それ』は何故そんな目を向けられるのかが分からないとでも言いたげに肩をすくめていた。
「やれやれ、そんな目を向けられるなんて心外だね。ボクは善意から申し出ているというのに」
「いつどこのどんな神話であろうと、神の善意ほど傍迷惑なものはないであるからな。どうせその善意という言葉には騒動の元とでもいったルビが振ってあるのであろう?」
「仮にも神に向かって酷い言い草だ」
「仮にも神であるからこそ、である。そもそも自分で全ての元凶とか言っておきながら今更であろう」
「なるほど……確かにそれもそうだ」
そう言ってくつくつと笑う姿は、いい感じの胡散臭さに塗れていた。
これで何も企んでいないなどと言って信じる者は、たとえ信者であろうともいないに違いない。
結構無礼なことを言っているだろうに、エレオノーラが口を挟んでこようとしないのがその証拠だ。
もっとも、エレオノーラに関しては、ここに入ってから意図的に言動を慎むようにしている節があるため、そのせいもあるのかもしれないが。
「で? そろそろ雑談はいいであろう? 我輩がここに呼び出された理由ぐらいならばいい加減聞かされてもいい頃合ではないかと思うのであるが」
「んー、まあ確かにそうだね。キミと話をしているのは中々楽しいとはいえ、いつまでもこうしているわけにはいかないからね。とはいえ、実際には言われずとも分かっているんじゃないかい?」
「まあ、エレオノーラなどは我輩のことをはっきりと『魔王』などと呼んでいるであるからな。どうせそれ関連であろう?」
――魔王。
それはソーマの友人の伊織のことであったり、以前王都で倒したアレを指す言葉ではあるが……どうやらソーマもその魔王とやらになってしまったようなのである。
どうしてそれが分かるのかと言われたら少し困るのだが、何故かそうだということだけは分かるのだ。
王都でアレを倒した直後から薄っすらと感じるようになっていたのだが、特に最近ははっきりと感じるようになっていた。
で、そこでのコレである。
無関係だと考えるのはさすがに無理があるだろう。
まあ感覚的にそれが分かるだけなため、詳しいことが分かるわけではない。
渡りに船ということもあり、今回は素直についてきた、というわけであった。
法術絡みもあり聖都には一度来てみたかった、というのもあるが。
ともあれ。
「うん、話が早いのはいいことだよね。まあ本来はキミが魔王になったところで、ボク側から干渉することは有り得ないことなんだけど」
「ふむ? そうなのであるか?」
「キミ、自分が魔王であることは分かっても、それ以外のことは何も分かっていないだろう?」
「その言い方からすると、本来は違う、ということであるか」
「まあね。ただキミは色々と特殊だから、色々な意味で放っておくわけにはいかず、こうしてご足労いただいた、というわけさ。――ま、それはただの建前なんだけど」
「む? どういうことである?」
建前ということは、ソーマをここに呼んだのは本当は別の理由があるということだ。
しかしそれに関しては本当に心当たりがなく、首を傾げる。
特に悪意などは感じられないため、何か悪いことを企んでいる、というわけではないのだろうが――
「それはね――っと、ちょうど良いタイミングだね」
その言葉が放たれたのと、ソーマが壁の方へと視線を向けたのはほぼ同時であった。
それはここへと向かってくる何者かの気配を察知したからであり、直後に轟音と共にその壁が砕け散る。
明らかにただ事ではなく、だがソーマが構えることすらしなかったのは、その気配が見知ったものであったからだ。
「ふはは、ここならば我の目を誤魔化せると思ったのじゃろうが、甘いのじゃ! あの頃の我と同じだと思ってもらっては困るのじゃからな!」
そうして現れた姿は、やはり見知ったもので間違いなかった。
瓦礫の上で高笑いする姿は、どちらかと言えば間抜けなものではあったが……その表情が、直後に変わる。
「さて、喧嘩を売ってきたのは誰――な!?」
それは驚愕であった。
有り得ざるものを目にしたという顔で、その視線は先ほどソーマへと全ての元凶などという自己紹介をしたモノへと向けられており――
「や、ヒルデガルド、久しぶり」
「う、嘘じゃろ……!? 何故貴様がここにいるのじゃ……!?」
この場に乱入してきた者――ヒルデガルドは、そんな絶叫にも似た声を上げたのであった。