日は過ぎ行きて、黄の月の14日。
ダルム=ルウとシーラ=ルウの、婚儀の日である。
その記念すべき日にも、俺は通常通りに屋台の仕事をこなしていた。
ダルム=ルウから栄誉ある仕事をまかされていたものの、何せ作製するのは一人分の料理だ。商売を終えてからでも数時間は作業時間を取れるので、ファの家の屋台が臨時休業をする理由にはなり得なかったのだった。
もちろん、ルウ家の人々は仕事を休んでいる。その代わりに俺が4台の屋台で800食分の料理を準備するという、収穫祭のときと同じ段取りであった。
「いよいよ今日だね! あーあ、あたしも行きたかったなー」
商売の終わり際にやってきて、そのようにぼやいたのはユーミであった。
ユーミも婚儀の祝宴に参加したがっていたが、それはルウ家と自分の家の両方からたしなめられることになったのだった。
どちらの言い分も、内容に大きな差はなかった。婚儀をあげる両者はそれほどユーミとゆかりの深い相手ではないし、また、半月前には収穫祭に参加したばかりであるのだから、今回は自重するべし、という流れになったのだ。
「あたしとシーラ=ルウがターラとリミ=ルウぐらい仲良しだったら、許してもらえたのかなー? あー、残念!」
「それだったら、ルウ家のほうは許可が出たかもね。でも、あんまり家を抜け出したら、宿のほうも大変なんだろう?」
「手伝いの人間は何人かいるんだから、なんてことないよ! 普段はめいっぱい働いてるんだから、文句を言われる筋合いはないさ」
「そっか。だけどまあ、あんまり物事を性急に進めようとすると、思わぬところでつまずいちゃうかもしれないからさ。森辺の人たちとは、この先も焦らずにじっくりと交流を深めていけばいいんじゃないのかな?」
「でも、相変わらず親父が婿を取れってうるさくてさー。ひょっとしたら、あたしが森辺に嫁入りしたいって考えてること、カンづいてるのかなあ? まったく、やんなっちゃう」
屋台の前で立ったまま『クリーム・シチュー』をすすっていたユーミは、妙に切なげな溜息をついた。
「やっぱ、めったに会えない人たちの中から伴侶になる人間を捜すって、無理があるよねー。先に森辺の家人になって、それからじっくり選びたいところだよ」
「うん。でも、ユーミは本気で好きになれる相手ができたら、それで森辺に移り住む覚悟も固められるっていう話じゃなかったっけ?」
「そーなの! ま、自分のための覚悟じゃなくって、本腰入れて親を説得する覚悟って意味なんだけどね。親が許してくれるんなら、今すぐにだって森辺の家人になりたいぐらいだよ!」
ユーミとしても、なかなか悩ましいところであるようだった。
だけどきっとユーミのご両親だって、娘からこのように突拍子のない話を打ち明けられたら、大いに思い悩むことになるのだろう。
「ま、いーや。シーラ=ルウたちのおめでたい日にこんなことで悩んでるなんて、馬鹿みたいだもんね、あたしの分まで、おめでとーって伝えておいてよ!」
「うん、了解。……って言っても、明後日にはシーラ=ルウも町に下りてくると思うけどね。休み明けは、シーラ=ルウが屋台の当番だったはずだからさ」
「ふふ。そのときは、いっぱい冷やかしてやろーっと! それじゃあ、またね!」
そうしてユーミが姿を消してすぐに、すべての料理が売り切れることになった。
日時計で確認してみると、まだ終業時間の二の刻には達していない。マイムも休んでいることを考えると、普段よりは100食分ほど少ない計算になるので、早々に料理が尽きてしまったようだ。
(ギバ料理ってくくりで考えると、1日で900食が売れてるんだもんな。すごい数で定着したもんだ)
そして俺の目には、宿場町そのものが以前よりも活気づいているように見えるときがあった。
最初は雨季との落差であるのかなと思ったが、どうやらそうではないらしい。ジェノスを訪れる人間自体が、雨季の前よりも増えているように感じられるのだ。
理由は、わからない。が、いくつか推測することはできる。
たとえば、宿場町でもさまざまな食材が流通されるようになったおかげで、そういった商人たちとの取り引きは活性化されたと聞いている。それだけでも、町を訪れる人間の増加には直結することだろう。
そして、ポルアースがぶちあげた、ジェノスを美食の町として確立する、という構想――それがどこまで実現されたかは不明なれど、少なくとも、ジェノスの変化はすでに遠方の地にまで届けられているはずだ。
ギバの料理という物珍しいものが売りに出されていることや、これまで流通の禁じられていた食材までもが幅広く使われるようになったことも、シムやジャガルやさまざまな町で評判になっているはずであった。
さらに、もうひとつ。森辺の民の悪名がほぼ払拭された、という線はどうだろうか?
かつてジェノスには、森辺の民という蛮族が宿場町を闊歩している、という悪名が轟いていたはずであるのだ。悪名の発端は10年前にあり、近年でも、ドッドやミダ=ルウがそれを引き継いでしまっていた。
貴族に不当な擁護を受けて、どんな悪さをしても罪に問われない蛮族が、ジェノスの宿場町には存在する――などという噂が立っていれば、おのずと人の足も遠ざかるのではないかと思われた。
だが、すでにもう何ヶ月も前に、森辺の大罪人がすべて処断されたという触れが、ジェノス侯爵マルスタインの名で布告されている。そしてそれが上っ面だけの布告ではない、ということを、ジェノスを実際に訪れた人々が体感できていれば、その話を故郷に持ち帰り、悪い評判を払拭してくれるのではないだろうか。
何にせよ、この1年足らずでジェノスは数々の激変を迎えているのだ。
その末に、町が活気づいているように感じられるのであれば、それほど喜ばしいことはなかった。
「よし。それじゃあ、帰ろうか」
そんな思いを胸に、俺は森辺を目指すことになった。
ルウの集落の手前で、同乗していたトゥール=ディンたちは他の荷車に乗り換える。これも収穫祭のときと同じ段取りであった。
「それでは、また明日。下ごしらえの仕事はおまかせください」
「ありがとう。どうかよろしくね」
9名の女衆を乗せた2台の荷車が、北の方角に去っていく。
それを見届けてから、俺はルウの集落に足を踏み込んだ。
収穫祭のときと変わらぬ賑わいである。
本日も、眷族の家から多数の女衆が招かれて、ともにかまど番としての仕事に励んでいるのだ。
本来、祝宴の準備というのは、その家の人間のみで取り組む習わしであった。だから、ガズラン=ルティムの婚儀の際は、ルウ家の女衆のみで準備をすることになったのである。
しかし、ここ最近の贅を凝らした料理を作りあげるには、それでは手が足りなくなってしまう。よって、祝宴の際にはこうして眷族の手を借りるのが、ルウ家の新たな習わしと定められたのだった。
「やあ、アスタ。ルウの家にようこそ」
「あ、アスタ。どうもおひさしぶりです」
「ずいぶん早い到着だったね。宴が待ちきれなかったのかい?」
俺が宴料理を作製することは、ごく一部の人間にのみ明かされている秘密ごとである。俺は「ええまあ」と笑みを振りまきながら、本家の家屋を目指すことにした。
(宴を待ちきれないのは本当だから、虚言の罪を犯したことにはならないよな)
しかし、この環境でこっそり料理を作製するというのは、なかなか無茶な話である。ということで、俺は秘密を共有するレイナ=ルウと事前に打ち合わせをして、本日の段取りを整えていた。
「要するに、ダルム兄はルドやララにからかわれたくないだけなのですから、必要のある女衆には話を通しておきましょう。ダルム兄には、わたしから事情を説明しておきます」
レイナ=ルウは、そのように言ってくれていた。
そんなレイナ=ルウとの段取り通り、俺はまず本家の母屋で到着の挨拶をしてすぐに、シン=ルウの家へと向かうことにした。
「あれ……アスタはもう来たんだね……?」
と、今日もシン=ルウ家の前で幼子たちとたわむれていたミダ=ルウが、頬肉を震わせながら呼びかけてきた。
「うん。少しだけ仕事を頼まれてしまってね。……ミダ=ルウは、ついに今夜からシン=ルウの家の家人だね」
「うん……ミダは、とっても嬉しいんだよ……?」
シーラ=ルウが家を出ることによって、シン=ルウ家はひとつの寝所が空く。ミダ=ルウはこの夜からシン=ルウ家の家人となり、そこで眠ることになるのだ。
そして、新たな分家の家長となるダルム=ルウおよびシーラ=ルウは、なんとミダが住んでいた家で暮らすことになるらしい。
新たな家を建てるべきかどうか詮議がされたが、使わない家は傷みも速くなってしまうので、けっきょくそういう話に落ち着いたのだということであった。
そうして晩餐に関しては、これまで通りシーラ=ルウとタリ=ルウがともに作りあげて、二家族合同で食することになる。
もともとミダ=ルウはシン=ルウ家で晩餐をとっていたので、そこにダルム=ルウが加わる格好になるわけだ。
シン=ルウとミダ=ルウ、リャダ=ルウとタリ=ルウ、ダルム=ルウとシーラ=ルウ、そして幼いふたりの弟で、総勢は8名。その8名で、どのような団欒が織り成されるのか、俺は想像するだけで胸が温かくなってしまった。
「それじゃあね、ミダ=ルウ。こっちはそんなに時間のかかる仕事ではないから、後でまたゆっくり話そうよ」
「うん……アスタと話せるのは、嬉しいんだよ……?」
ミダ=ルウと幼子たちに手を振って、俺はシン=ルウ家の裏手に回り込んだ。
するとそこでは、リャダ=ルウが黙然と薪を割っていた。
「あ、リャダ=ルウ。どうもお邪魔します。……お仕事中であったのですね」
「いや。気分が落ち着かないので、無理に仕事をこしらえただけだ。だから、ミダ=ルウには声をかけなかった」
額の汗をぬぐいながら、リャダ=ルウはそのように述べてきた。
傍目には、いつも通りの沈着なたたずまいである。それでもやっぱり、大事な娘の婚儀の日とあって、リャダ=ルウも平静ではいられないのだろうか。
「タリから、話は聞いている。シーラたちのために料理をこしらえてくれるそうだな。とてもありがたく思っている」
「いえ、こちらこそ、こんな大事な仕事をまかせていただけて嬉しいです」
「……今日のことだけではないな。アスタには、どれほど感謝の言葉を述べても足りないぐらいだろう」
リャダ=ルウは鉈を置き、片足を引きずりながら俺の目の前にまで進み出てきた。
「アスタと出会う前のシーラは、少し陰のある娘だった。生まれながらに身体が弱く、それを引け目に思いながら育つことになったのだ。だから、アスタと出会ってかまど番としての自信を身につけていなければ、これほど幸福な心地で婚儀を迎えることもできなかっただろう」
「いえ、とんでもありません。シーラ=ルウは、最初から素晴らしいお人であったと思います」
「それでも、以前のシーラであれば、ダルム=ルウに嫁入りを願うような真似もできなかったはずだ。だから俺は、アスタに深く感謝をしている」
リャダ=ルウは、顎を引くような仕草で小さく礼をした。
「シーラの父として、礼を言わせてもらいたい。これからも、シーラの進むべき道に光を照らしてやってほしい」
「俺のほうこそ、シーラ=ルウにはお世話になりっぱなしです。これからも、どうぞよろしくお願いします」
リャダ=ルウは、目もとに笑いじわを作りながら、うなずいてくれた。
俺は早くも胸の内を揺さぶられながら、かまど小屋を目指すことになった。
「ああ、アスタ。ようこそ、ルウの家に。今日はどうもありがとうね」
かまど小屋で待ち受けていたのは、タリ=ルウを筆頭とする7、8名のかまど番たちだ。さまざまな眷族が入り乱れているようで、タリ=ルウの他に名前がわかるのはティト・ミン婆さんのみであった。
「ここにいる女衆には話を通しているからね。どうかシーラたちのために、お願いしますよ」
「はい。腕によりをかけて作らせていただきます」
俺は持参した食材を作業台の上に並べさせていただいた。
向かいの位置で肉を切り分けていたタリ=ルウは、目を細めて俺の様子を見守ってくれている。
「シーラ=ルウたちは、眷族の家を巡っているのですよね?」
「ええ。女衆のほとんどはこっちに呼びつけてしまったけれど、幸い、休息の期間だったからねえ。家に居残ってる男衆や幼子や老人たちから、祝福の贈り物を授かっているはずだよ」
「そうですか。ようやくおふたりが本当に結婚するんだなあという実感がわいてきました。……おふたりはもう婚儀の衣装を纏っているのでしょう?」
「ええ、もちろん。もうしばらくしたら、こっちに戻ってくるんじゃないかねえ」
すると、鉄鍋を煮込んでいたティト・ミン婆さんも笑顔でこちらを振り返ってきた。
「ルティムとミンの婚儀から、もう1年近くも経ってるんだね。あれからルウの血族ではいくつか婚儀の祝宴を開いたけれど、アスタはそれ以来ってことになるのかい?」
「ええ、そうですね。婚儀の祝宴でルウ家の広場が使われるのも、それ以来ではないですか?」
「うん、眷族の婚儀では本家の家長か長兄でもない限り、ルウ家の広場が使われることはないからね」
そう言って、ティト・ミン婆さんはふくよかな顔にあふれんばかりの笑みを広げた。
「あたしもタリ=ルウに負けないぐらい、幸せな気持ちだよ。自分の孫と孫が婚儀をあげるだなんて、森辺ではそうそうないことだからねえ」
「あ、そうか。ティト・ミン=ルウにとっては、シーラ=ルウもお孫さんになるのですね。当たり前の話なのに、まったく考えたこともありませんでした」
ティト・ミン婆さんは、本家の先代家長の嫁であるのだ。それはすなわち、ドンダ=ルウとリャダ=ルウの母親である、という事実を示しているのだった。
「ドンダとリャダ=ルウは、まったく似てないからねえ。同じぐらい、ダルムとシーラ=ルウも似てないんだろうけど……でもきっと、あの子たちはルウの一族にまた強い力をもたらしてくれるだろうさ」
どうやら家を出た子に対しては、氏をつけて呼ぶのが正式な習わしであるらしい。
では今後、ドンダ=ルウたちはダルム=ルウと、タリ=ルウたちはシーラ=ルウと、そんな風に呼ぶことになるのだろうか。
それは一抹のさびしさを感じなくもないが、それと同時に、新たな家を打ち立てる息子や娘たちに最大限の敬意を払っているようにも感じられる習わしであった。
ダルム=ルウは今日、新たな分家の家長となり、シーラ=ルウはそれを支える伴侶となるのだ。
それがいずれ、リャダ=ルウのようにたくさんの子を生して立派な家を為すことができるか、あるいは力及ばずに、他の分家の家人として迎えられることになるのか――それは今後のダルム=ルウたちの行いにかかっているのだった。
「そういえば、リャダ=ルウはタリ=ルウと婚儀をあげたし、シーラ=ルウはダルムだし、このままいけばシン=ルウもララと婚儀をあげそうだから……あんたの家の人間は、同じルウ家の人間ばかりと婚儀をあげていることになるね、タリ=ルウ?」
ティト・ミン婆さんがそのように呼びかけると、タリ=ルウは「そうですねえ」と微笑んだ。
「でも、それは悪いことではないでしょう? 眷族と血の縁を深めるのも、ルウ家の中で血の縁を深めるのも、同じぐらい大事なことでしょうし……何より、好いた相手と婚儀をあげるのが一番の幸せですからねえ」
「ああ、そいつはもっともだね」
ティト・ミン婆さんも、穏やかに笑った。
直接的な血の繋がりを持たないはずのふたりであるが、彼女たちこそ母娘なのではないかというぐらい、雰囲気が似通っているように感じられる。ちょうど身長も同じぐらいで、どちらもややふくよかな体型をしており、そして、穏やかな中に芯の強さを感じられるところなどが、非常によく似ているのだ。
(本当にみんな幸せそうだな。まあ、余所の家の俺でさえこんなに胸がいっぱいなんだから、それが当たり前なんだけど)
そんな思いを胸に秘めながら、俺は調理に取りかかった。
しかし、実際に食するのは数時間後であるので、今は下ごしらえのみだ。俺は早々に自分の仕事を果たして、かまど小屋を後にすることになった。
まだ薪を割っていたリャダ=ルウに会釈をして広場のほうに回ると、ミダ=ルウと幼子たちが追いかけっこをしていた。
ミダ=ルウにとっては、これもスタミナトレーニングであるのかもしれない。その真意は知れぬまま、俺も童心に返って参加させてもらうことにした。
「そういえば、リミ=ルウは姿が見えないね。かまどの仕事を手伝ってるのかな?」
しばらく経って、一息つきながらそのように問うてみると、「ううん……」という返事が返ってきた。
「リミ=ルウは、シーラ=ルウたちと一緒に、眷族の家を巡ってるんだよ……? リミ=ルウはダルム=ルウの妹だから、そのお供なんだよ……?」
「あ、そうなんだ? それじゃあ、シーラ=ルウのお供は弟さんなのかな?」
「うん……ちっちゃいほうの弟なんだよ……?」
下の弟は、まだリミ=ルウと変わらないぐらいの幼さであるはずだった。上の弟は、たしか11、2歳で、もう間もなく見習いの狩人として手ほどきを始められる年頃であるのだ。
「シーラ=ルウの弟たちとも、ミダ=ルウは仲がよかったもんね。みんなと同じ家で暮らす家族になれるのは嬉しいだろう?」
「うん……とってもとっても嬉しいんだよ……?」
氏をもらったばかりのミダ=ルウであるが、今後シン=ルウたちからは同じ家の家人として、また「ミダ」と呼ばれることになるのだ。
今までは、氏を奪われたために名のみで呼ばれていた。それが今後は、家族であるから名のみで呼ばれる。それを嬉しく感じないはずはなかった。
そうして俺たちが語らっていると、新たな幼子たちがわらわらと集まってきた。
まだ眷族の幼子は招かれていないはずであるのに、たいそうな人数だ。ひょっとしたら、自分の足で歩けるルウ家の幼子がすべて集まってしまったのではないだろうか。
その内の何名かが、宿場町や城下町の様子などを聞いてきたので、俺は講談師の真似事を興ずることになった。
なかなか普段ではありえないようなシチュエーションである。きらきらと瞳を輝かせる幼子たちに、俺は旅人たちの行き交う街道や、ずらりと並んだ家屋や屋台、それに城下町における石造りの町並みや貴族たちの様子などを、ぞんぶんに語って聞かせることにした。
そんな楽しい時間が半刻ほども過ぎたとき、広場の入り口から賑やかな気配が伝わってきた。
眷族の家を巡っていた一団が帰還してきたのだ。
幼子たちははしゃいだ声をあげ、俺とミダ=ルウも立ち上がってそれを迎えることになった。
とてもたくさんの人々が、広場に踏み入ってきている。
総勢で、30名ばかりもいただろう。しかも、そのほとんどはむくつけき男衆であった。女衆は祝宴の準備で手が埋まっていたので、男衆しか同行することができなかったのだ。
先頭を歩いているのは、ドンダ=ルウである。
そしてその左右に、小さな人影がふたつあった。
リミ=ルウと、シン=ルウの下の弟だ。
リミ=ルウはすでに宴衣装を纏っており、シン=ルウの弟はちっちゃな狩人の衣を纏っている。そしてその手には、たくさんの牙と角が捧げられた草籠が携えられていた。
リミ=ルウたちの後ろには、ルド=ルウがいる。シン=ルウもいる。それに名も知れぬ分家の若衆や、古傷を負った壮年の狩人もいる。長時間の歩行が困難であるリャダ=ルウと、幼子たちの面倒を見ていたミダ=ルウ以外の狩人は、のきなみこのパレードに参加していたのかもしれなかった。
そして――それらの勇猛なる狩人に守られるようにして、そのふたりがいた。
ダルム=ルウとシーラ=ルウである。
ふたりともに、婚儀の衣装だ。
ダルム=ルウは、ギバの頭つきのマントを纏っていた。
ただし、北の一族のように頭からかぶっているわけではない。かつてのガズラン=ルティムと同じように、ギバの頭はダルム=ルウの右肩を覆っていた。
その腰には、長刀と短刀が下げられている。しかし、普段の実用一辺倒の革鞘ではなく、さまざまな装飾のほどこされた儀礼用の革鞘だ。
あとは、頭にエメラルドグリーンの草冠がかぶせられている。
それ以外は、普段通りの装束であった。
しかしその日のダルム=ルウは、城下町で宴衣装を着用させられていたときよりも、いっそう勇壮で凛々しく見えた。
そのかたわらを、シーラ=ルウが歩いている。
それもまた、かつてのアマ・ミン=ルティムを思い出させる美しい宴衣装であった。
玉虫色に光る半透明の織物が、シーラ=ルウの全身を包み込んでいる。
黒褐色の長い髪はほどかれて、そこにはたくさんの飾り物が織り込まれていた。
ルウ家の女衆としてはかなりほっそりとした手足にも、さまざまな飾り物がつけられている。
その手を前のほうで合わせながら、シーラ=ルウはしずしずと歩いていた。
草冠で留められたヴェールの下で、シーラ=ルウは目を伏せていた。
玉虫色のきらめきが、その面を半ば隠してしまっている。
シーラ=ルウは、いったいどのような表情をしているのか――それを確認しようと、俺が背伸びをしかけたとき、いきなり広場が歓声に埋め尽くされた。
かまど小屋にこもっていた女衆がみんなの帰還に気づいて、飛び出してきたのだ。
誰もが口々に祝いの言葉を述べていた。
リミ=ルウは、元気いっぱいの笑顔でそれらの人々に手を振っていた。
ルド=ルウたちも、みんなを煽りたてるように声をあげたり、腕を回したりしていた。
うつむき加減であったシーラ=ルウも、それで我に返った様子で視線を巡らせていく。
その目が、俺とミダ=ルウのほうに向けられたとき――シーラ=ルウは、確かに微笑んだ。
玉虫色のきらめきの向こうで、シーラ=ルウは、これ以上もないぐらい幸福そうに微笑んでいた。
それを認識した瞬間、俺はこらえようもなく涙をこぼしてしまった。
ちょっとおどおどとした感じで初対面の挨拶をしてくれた姿や、タリ=ルウと一緒に宴料理の作製を手伝ってくれた姿、屋台の仕事を懸命にこなしていた姿や、ダルム=ルウのことをじっと切なそうに見つめていた姿――そんな情景がフラッシュバックして、俺の自制心をあっけなく打ち砕いてしまったのである。
アイ=ファがこの場にいたならば、いちいち取り乱すなと頭を小突かれていたところだろう。
だけどこの場には、ミダ=ルウしかいない。ミダ=ルウは、俺の横でぶんぶんと丸太のような腕を振り回しているようだった。
(シーラ=ルウ、本当に……本当におめでとうございます)
きっとこの後なんべんも繰り返すであろう言葉を心の中で告げながら、俺もシーラ=ルウに向かって手を振ってみせた。
シーラ=ルウは胸のあたりにまで小さく手をあげて、それに応えてくれた。
あまりはっきりとはわからなかったが、シーラ=ルウもきらめくヴェールの向こう側で、幸福そうに微笑みながら涙をこぼしているようだった。