そうして二度にわたる宿場町の交流会は、無事に終わることになった。
得たものは、とても大きかっただろうと思う。これを契機に、他の氏族たちも同じように交流会を開くことになれば、幸いである。
ただ、フォウの血族においては、家長会議ならぬ血族会議が開かれる事態に至ったとのことであった。
議題はもちろん、ジョウ=ランとユーミの一件だ。この先、ふたりの交流が恋愛関係にまで発展してしまったら、果たしてユーミを嫁として迎え入れることは可能であるのか。フォウ、ラン、スドラの主だった面々で、それが話し合われることになったのである。
「ファの家との問題が片付いたと思ったら、今度はこの騒ぎだ。つくづくジョウ=ランというのは、森辺の習わしにそぐわない人間であるのだな」
交流会の翌日、アイ=ファの修練を手伝うためにファの家を訪れてくれた際、バードゥ=フォウなどは溜息まじりにそう語っていた。
その日の朝から開かれた血族会議は、大いに紛糾したらしい。やはり、外部の人間を家人として迎え入れるというのは、それだけ大ごとなのである。
そんな中、もっとも前向きな意見を述べていたのは、ライエルファム=スドラであったそうだ。
「今のところ、外部の人間で森辺の家人と認められたのは、アスタとリリンの家のシュミラルのみだ。美味なる料理をもたらしたアスタと、猟犬をもたらしたシュミラルは、今の森辺の民にとってかけがえのない存在であるだろう。……ならば、ことさら外部の人間を忌避する理由はないのではないだろうか?」
ライエルファム=スドラは、そのように述べていたらしい。
「また、アスタは渡来の民であり、シュミラルは東の民だった。西の民であるユーミであれば、森辺に何をもたらしてくれるのか。西方神の子として正しく生きると決めた俺たちにとって、それを見届けることにも大きな意味があるように思える」
「ううむ。しかし、よりにもよって、フォウの血族がそのような重責を担うことになろうとはな……」
「それを言ったら、アイ=ファなどはたったひとりでその重責を担っていたのだ。アスタを家人として迎えるのは正しい行いであったと、たったひとりでスン家に立ち向かっていた姿を忘れたわけではあるまい。俺たちはその姿に胸を打たれたからこそ、ファの友となる道を選んだはずだ」
そう言って、ライエルファム=スドラは顔をくしゃくしゃにして笑ったのだそうだ。
「それに、ジョウ=ランたちはまだ自分の気持ちを見定めたわけでもないのだろう? リリンの家のシュミラルのように、揺るがぬ決心をたずさえて嫁入りを願ってくるまで、静かに見守ってやればいいのではないのかな」
とりあえず、そんな感じで血族会議は終了したようだった。
ライエルファム=スドラから話を聞いたユン=スドラは、また深々と溜息をついていたものである。
「まさか、フォウとランの女衆がジョウ=ランの後押しをするとは思ってもいませんでした。……まあ、わたしも同じ立場であれば、同じようにふるまっていたのでしょうけれども」
というか、ユン=スドラは実際にそういった心境で、俺への気持ちを断ち切った立場であったのだ。俺としては、顔を赤くしながら頭をかくことしかできなかった。
ともあれ、ジョウ=ランとユーミの一件は、それで収まることになった。
ふたりの気持ちが定まるまでは、いったん保留という形である。
ただ、何もかもがこれまで通りというわけではない。次にフォウの血族が祝宴をあげる際は、ユーミを客人として呼ぶつもりだと、バードゥ=フォウはそのように述べたてていた。
「ユーミというのは、時にはジェノスの法を犯すこともあるのだと聞いているからな。フォウの血族に相応しい人間であるかどうか、俺たちもしっかり見定めねばならないだろう」
それは、至極もっともな話であった。
なおかつ、フォウの血族は近い内に祝宴をあげる予定も立っている。フォウとスドラ、ランとスドラの間で、それぞれ婚儀をあげることが内々で決まっているのだ。休息の期間にその片方ぐらいは実施されるのではないかと思っていたが、それは家長会議の後にまで延期されることになっていた。
「いやー、森辺の祝宴に呼んでもらえるのは嬉しいけどさ。まさか、こんな形で招待されることになるとはねー」
後日、ユン=スドラの口からその情報がもたらされると、ユーミはなんとも複雑そうな顔で笑っていた。
ユン=スドラは、とても真剣な面持ちでその笑顔を見返している。
「わたしもこのような形でユーミを招くことになろうとは考えていませんでした。……ユーミの心情に、あれから変化は生じていませんか?」
「そんな、1日や2日でコロコロ気持ちが変わるわけないじゃん。……お願いだから、あれこれせっついたりしないでね?」
そのように述べながら、ユーミはわずかに頬を赤らめている。すると、ユン=スドラの瞳にはますます真剣そうな光が灯った。
「だけどやっぱり、ジョウ=ランのことは憎からず思っていたのですね。そうでなければ、気持ちを見定める時間が欲しい、という考えには至らないのでしょうし」
「だから、せっつかないでってば! あの夜までは、本当にそんな話はこれっぽっちも考えてなかったんだよ!」
ユーミの顔が、ますます赤くなっていく。気丈なユーミがこんな風に恥じらう姿を見せるのは、なかなかに珍しいことであった。
「だいたいさ、ジョウ=ランはどこかの女衆のことをふっきろうとしてたところでしょ? そんな相手に色目をつかう気持ちには、とうていなれなかったんだよ。あたしはただ、ジョウ=ランに元気になってほしいと思ってただけだから……」
「ユーミは、お優しいのですね。……もしもユーミがジョウ=ランに嫁入りすることになったら、わたしは心から祝福しようと考えています」
「せっつくなって言ってるのが聞こえないの!? もう、森辺の民ってのは、みんな率直すぎるんだよ!」
そこで注文の料理が完成したので、ユーミは逃げるように青空食堂へと去っていった。
その後ろ姿を見送りつつ、ユン=スドラはふっと息をついている。
「なんとなく、わたしもジョウ=ランとユーミは似合いであるように思えてきてしまいました。ユーミであればジョウ=ランの言動に心を乱されることもないでしょうし、幸福な生活を築くこともできるのではないでしょうか」
「うん、俺もそう思うよ。だけどまずは、おたがいに自分の気持ちを見定めてもらわないとね」
17歳と16歳であるのだから、何も焦る必要はないだろう。俺もライエルファム=スドラと同じように、ふたりの行く末をじっくり見守らせてもらう所存であった。
ジョウ=ランとユーミに関しては、以上である。
ただ、それ以外にも、いくつか特筆するべき出来事が起きていた。
まずは、レビの一件である。レビはミラノ=マスの面接を受けて、無事に《キミュスの尻尾亭》で働くことが決定されていた。
普通、若い男性は宿屋の手伝いなどはしないそうである。たいていは日中に本職を抱えているために、そんな余力をひねりだすこともできないし、また、ひねりだす必要もないのだろう。そんな中、怪我をして動けない父親のために昼も夜も働こうというレビに対して、ミラノ=マスも大いに感銘を受けたのだろうと思われた。
まあ、そんな内心を余人にさらすミラノ=マスではないので、すべては俺の憶測である。俺としては、それぞれ嬉しそうな様子を見せていたレビとテリア=マスの姿に、温かい気持ちを抱いたばかりであった。
「テリア=マスの親父さんって、なかなかおっかなそうだよな。せっかくの仕事をなくしちまわないように、気合を入れることにするよ」
屋台を訪れてくれたレビは、そのように述べていた。
本日も、人足の仕事のさなかであるのだろう。聞くところによると、現在はダレイム領と森の間に塀を築く作業が進行中であるので、人足の仕事には事欠かないのだそうだ。
いっぽうで、テリア=マスは頭の上に音符の記号が幻視できそうなぐらい、嬉しそうな様子を見せていた。レビと一緒に働けることが、それだけ嬉しかったのだろう。
(そういえば、テリア=マスが婿を迎え入れないと、マスの氏は絶えてしまうって話だったんだよな)
もちろん、部外者である俺が口出しをするような話ではない。
ただ、家業を持たないレビであれば、どのような家に婿入りすることも可能であろうし、レビ=マスという名前もなかなか趣があるのではないかと、内心でこっそり考えたばかりである。
ともあれ、こちらはユーミとジョウ=ランの一件以上に、そっと見守るしかない話であった。
そしてもうひとつ、色恋とはまったく関係のない内容で、特筆するべき話がある。
それは、盤上遊戯に関してであった。
アイ=ファやチム=スドラが、「これは狩人としての力を育む一助になるのではないか」という話をもたらして、森辺の人々の関心を引く事態に至ったのである。
その結果として、森辺においても盤と駒が作製されることになった。
木工の作業は森辺の民もお手の物であるし、駒に文字を書くことに関しても、すでに筆と塗料は森辺にもたらされている。交流会の翌日には、もう盤をはさんで勝負をする狩人たちの姿を確認することができた。
そしてその情報は、ごくすみやかにルウの集落にまで伝播した。世間話として俺がルウ家の女衆にその話を伝えると、もともと盤上遊戯のたしなみがあったバルシャによって、ルウ家においても盤や駒が作製されることになったのである。
「森辺の集落には娯楽ってもんがなかったからね。みんな、なかなかの食いつきだったよ」
バルシャは笑いながら、そのように述べていた。
「こいつが本当に狩人の力になるかどうかはわからないけどさ。でもまあ、森辺の狩人は力比べが大好きだし、荒っぽいことのできない幼子や老人なんかにも、こいつは喜ばれるんじゃないのかね」
その意見には、俺も同感であった。
こまかい話は抜きにしても、アイ=ファやチム=スドラはこの遊戯がお気に召したからこそ、森辺のみんなにも伝えたいと思ったのだろう。盤上遊戯が楽しいのならば、もうそれだけで十分に取り組む価値はあるように思えた。
で、休息の期間にある近在の氏族においては、鍛錬の後に盤上遊戯をたしなむのが通例になったわけであるが、そこでもアイ=ファは無類の強さを発揮していた。
それ以外で頭角を現したのは、バードゥ=フォウとライエルファム=スドラである。もっとも高い勝率を叩き出していたのはアイ=ファであったが、その両名もそれに肉迫するぐらいの実力者であったのだ。
反面、ラッド=リッドはこの遊戯に適応するのが難しそうな様子であった。チム=スドラは身体の小さな人間が得手とするのかもしれない、と推測していたが、長身であるバードゥ=フォウがそれに当てはまらなかったので、どちらかといえば持って生まれた性格に起因するのかもしれなかった。
「こういうちまちました遊びは、俺には向いていないようだ! 頭よりも身体を動かすほうが、性に合っているのでな!」
べつだん悔しがる様子も見せず、ラッド=リッドは豪快に笑っていた。
その他では、ゼイ=ディンもなかなかの指し手であり、ジョウ=ランもちょっと独特の強さを見せていた。勝率はほどほどであるのだが、ふっと思いも寄らぬ手で、格上の実力者を負かしたりするのである。そういう際、アイ=ファはとても悔しそうな顔をしていた。
「あやつは考えなしに手を進めるので、場が乱れてしまうのだ。その混乱の隙をついて、するするとこちらの将に忍び寄ってくるので、タチが悪い」
その苛立ちに共感することはかなわなかったものの、アイ=ファに熱中できる遊びが生まれたことは、俺にとって嬉しい変化であった。
アイ=ファがどれぐらい熱中していたかというと、日中にさんざん取り組んだあげく、晩餐の後に俺にまで勝負を挑んでくるほどであったのだ。
「言っておくけど、俺は弱いぞ? こういう遊びは、あんまり集中力が長続きしないんでな」
「うむ。手慰みの勝負であるのだから、力量などは気にせずともよい」
そんなわけで、俺たちは燭台の薄明かりの下で、勝負を開始することになった。
まったくこの遊戯に関心を引かれなかったティアは、俺の片隅で丸くなっている。いちおうその目は盤上に向けられていたが、すでに半分まぶたは下がってしまっていた。
「ええと、槍兵は後ろに下がれないんだっけ」
「うむ」
「それで副将は二歩ずつ前進できるから……ああ、騎兵を取られちゃった」
そうして俺の将軍が討ち取られるまで、三十手とかからなかった。
盤面から顔をあげたアイ=ファは、なんともいえない面持ちで眉を下げている。
「アスタは……本当に弱いのだな」
「うん。俺もしみじみそう思うよ」
「私は負けず嫌いであるアスタに、いらぬ心労をかけてしまったのだろうか?」
「いや、そこまで心配しなくていいよ。最初から勝てるとも思ってはいなかったし」
これだけ力量差が歴然としていれば、俺の負けず嫌い精神が発動される余地もなかった。
しかしアイ=ファは、とても申し訳なさそうな顔で息をついている。
「私は幼子をうっかり投げ飛ばしたかのような心苦しさを感じてしまった。勝負はここまでとしておくか」
「あ、それなら、賽の目遊びはどうだろう?」
俺は腰の物入れから、宿場町で購入したサイコロを取り出してみせた。
アイ=ファは、きょとんと目を丸くしている。
「そのようなものを手に入れていたのか。しかし、そちらの遊びの駒は作っておらんぞ」
「ひとりは剣兵の駒を使って、もうひとりはそれ以外の駒を使えばいいんじゃないのかな。要するに、自分と相手の駒の見分けがつけばいいんだろうからさ」
「なるほどな。では、それで試してみるか」
アイ=ファも賽の目遊びは何回か経験済みであったので、ルールを忘れたりはしていないようだった。
俺は剣兵を、アイ=ファはそれ以外の駒を、それぞれ15枚確保して、盤に並べていく。
「しかしお前は、わざわざそれを買い求めるほど、賽の目遊びというものを気に入っていたのか? 宿場町では、それほど熱心に取り組んでいるようには見えなかったのだが」
「うん。俺は見物してるほうが性に合ってるかな。でも、これさえあれば、女衆も盤上遊戯を楽しめるだろ? フェイ=ベイムやユン=スドラなんかも、この遊びはけっこう気に入ってたみたいだからさ」
何か象牙のような材質で作られたふたつのサイコロを手の中で振りながら、俺はアイ=ファに笑いかけてみせた。
「男衆が合戦遊びで盛り上がってたから、女衆には賽の目遊びを教えてあげようと思ったんだ。駒なんかは木の実でもいいし、布に線でも引けば盤の代わりになるから、お手軽だろ?」
「…………」
「あ、だけど、これは生活の役に立つわけでもないし、女衆が覚える甲斐はないのかな?」
「そのようなことはない。幼子の遊び道具としても、きっと喜ばれることだろう」
アイ=ファがいきなり手をのばして、俺の頭をわしゃわしゃとかき回してきた。
「お前がそのように心優しき人間であることを、私は誇らしく思っている」
「うん、過分なお言葉、恐縮であります」
「……またこらえかねて、お前の身に触れてしまったな」
「うん、気恥ずかしいから、いちいち口に出さなくてもいいんだぞ?」
頭をかき回していたアイ=ファの手が、するりと頬のほうに下りてきた。
そうして俺の頬に手の平を添えたまま、アイ=ファがやわらかく微笑みかけてくる。
そうしてさんざん俺の心をかき乱してから、アイ=ファはすっと手を引っ込めた。
「では、始めるか。それを振って、数の大きいほうが先手をつとめるのだったな」
「ええ、仰る通りでございます」
そうして俺たちがサイコロを振る頃には、ティアは安らかな寝息をたてていた。
それをBGMに、俺たちはひそやかな勝負を始める。先手は、アイ=ファであった。
「……宿場町の交流会は、なかなか有意義だったよな」
自分の手順でサイコロを振りながら俺がそう言うと、盤面に視線を落としたまま、アイ=ファは「うむ」とうなずいた。
「ジョウ=ランとユーミの一件もいちおうは丸く収まったし、宿場町のみんなと絆を深めることもできたし……何より、色々と楽しかったよな」
「うむ。この盤上遊戯というものも、ひとつの確かな成果であろう」
「ああ、アイ=ファもカーゴとはずいぶん縁を深めることができたみたいだな」
「うむ。あやつほど思慮深く、先を見通せる力を持った人間は、なかなかおるまい」
アイ=ファのしなやかな指先が、駒を進めていく。出目に偏りがないために、これはなかなか互角の勝負なのではないかと思われた。
「森辺の民と町の人間っていうのは、ずいぶんかけ離れた存在だと思うけど……きちんと交流を結んだ上で、いい部分だけを見習っていけば、森辺の民の力になると思うんだよ」
「うむ。私もそのように考えているぞ」
「うん。ルウ家やフォウ家の人たちだって、きっとそう考えてくれてるだろうな。……明日の家長会議では、他の氏族の人たちにもそう思ってもらえるように、頑張ろう」
本日は、宿場町での交流会の2日後――青の月の9日であり、家長会議は明日に迫っていたのだった。
「ルウの血族の他にはひとりの友もいなかったあの頃とは、違う。私たちは、大丈夫だ」
「うん。俺もそう信じてるよ」
アイ=ファに笑いかけながら、俺はサイコロを転がした。
その出目で、俺の駒はめでたくすべてが自陣に集結する。かろうじて、俺は勝利を収めることができたようだった。
「よし、賽の目遊びも終了だな。明日に備えて、そろそろ眠ろうか」
「……待て。それは、勝ち逃げと呼ばれる行いではないのか?」
「え?」と思って顔をあげると、アイ=ファの唇がおもいきりとがらされていた。
「これは、手慰みの勝負だろう? そんなムキになることないじゃないか」
「……しかし、賽の目の数がひとつでもずれていれば、私が勝利していたはずだ」
「これはそういう勝負なんだからしかたがないよ。宿場町では、そんな文句をつけたりもしなかっただろう?」
「家人を相手に心情を隠すいわれはない。とにかく、もうひと勝負だ」
アイ=ファは強情に言い張って、駒を最初の配置に戻し始めた。
その姿にえもいわれぬ愛おしさを喚起されつつ、俺も自分の駒に手をのばす。
「了解したけど、寝不足にならないていどにしておこうな」
そうしてその夜も、ファの家においては平和に時間が過ぎ去っていった。
明日の家長会議では、いったいどのような結末が俺たちを待ち受けているのか――すべては、母なる森と父なる西方神の導き次第であろう。
人事を尽くした俺たちは、厳粛な気持ちでもって天命を受け止めるばかりであった。