視界が、否、空間が闇に包まれると同時に、それとは不釣り合いな明るい声が鳴り響く。
「ようこそ! 温泉で夫婦の営みを始めちゃうぐらい盛り上がったカップルにのみ道を開くダンジョンことハネムーンダンジョンへ!」
「なっ」
思わずといった調子で、ヴァルトルーデが絶句した。それは、完全に図星を突かれていたことを意味する。ユウトは、そんな新妻の姿を「いいものが見られたな」とのろけることで、現実逃避した。
それも仕方のないことだろう。言葉の意味を真面目に考えたら、死を選ぶしかない。
また、そんなダンジョンなのに、あの仕掛けは必要なのかとツッコミを入れる気にもならなかった。新鮮な刺激とか、旅の思い出とか、楽しそうなのでとりあえず設置してみたとか。そんなろくでもない答えしか返ってこないだろう。
なにしろ、黒幕が一番ろくでもないのだから。
「待っていたよ、世界を救った英雄たち」
闇の中、一点に光が降り注いだ。
スポットライトに浮かび上がるのは、赤毛の草原の種族(マグナー)。若草色のチュニックに、鳥打帽。人間の子供と見紛うばかりで、女性というよりは女の子と表現したくなる。
リトナに似ているが、少し雰囲気が違った。
――いや、リトナに似ている時点で大問題だ。
「まさか……」
「んふっふ。その先は、言わないほうがいーね」
含み笑いを浮かべて警告を発するが、それはほとんど認めているようなものだった。
リトナのように、半ば独立した人格を持つ分神体(アヴァター)とは違う。限りなくオリジナルのタイロン神に近い存在だと。
「このタイロンは、草原の種族(マグナー)の種族神であるだけでなく、豊穣や出産も司る神だからね! 子宝の湯に存在するは、もはや必然! 説明も問答も無用さっ」
「おお、まさかタイロン神が……」
「警告に見せかけて、自分で言いたかっただけかよ!」
跪く水着のヴァルトルーデと、頭を抱えるユウト。二通りの反応を見て、鳥打帽の少女――タイロン神はにんまりと笑った。
ヴァルトルーデとユウト。対照的だが、どちらも見たかった反応だ。割り込んで――いや、この施設に介入をした甲斐があったというもの。いやいや介入したのでもない。単に、地下部分を任されただけだ。まったく正当。
それはともかく、これで初対面の緊張もほぐれ、この後の展開もやりやすくなる。いいこと尽くめだ。
「さあ、黒幕はウチだよ。ここまで、楽しんでくれたかな?」
「見てたのなら、分かるのでは?」
「あははははは。それじゃ、予選を突破した二人には愛の試練を受けてもらうよ。その試練の果てには、素晴らしい財宝を得ることであろう」
「笑ってごまかすのはいいですが、『ここまでたどり着いた二人の絆。それこそが、本当の宝物』とかなのでは?」
「はーい。それじゃ、そこの席に座って」
ユウトのツッコミは都合よく聞き流し、タイロン神が腕を振る。
すると、なにもなかった空間にクイズ番組のような回答者席が現れた。いつの間にか、先ほどとは違う部屋に移動していたらしい。もう、なんでもありだ。
正直、ユウトは帰りたかった。
これ以上、付き合いたくなどなかった。
そして、それが許されないことも初めから分かっていた。
なんの疑問も持たず回答者席に座ったヴァルトルーデに遅れて、ユウトも不承不承席に腰を下ろす。丸い背もたれのない椅子は、座り心地が良かった。嫌味なほどに。
「夫婦円満の秘訣は、男の理解にあり。そこで、ウチがヴァルちゃんに関する質問をします。ヴァルちゃんにはそこのフリップに答えを書いてもらって、夫のユウトっちの答えと合っていれば一回成功。三回失敗する前に四回成功すれば豪華賞品ゲットだぜ!」
「タイロン神!」
すっと、ヴァルトルーデが手を挙げ発言の許可を求める。
「どうしたのかな、ヴァルちゃん。ああ。失敗した場合? 前の部屋に戻ってもらうよ。もちろん、《瞬間移動(テレポート)》なんか使わせないからね?」
「いや、そうではない」
ヴァルトルーデは小さく首を振って続ける。
「ルールは理解した。だが、私は、文字の読み書きはできない。この場合は、どうすればいい?」
沈黙。
「結婚生活は、夫のことを妻がどれだけ把握しているかが重要。夫の操縦をすることこそ、夫婦円満の秘訣」
「ぶれないなー」
何事もなかったかのように、男女の役割を入れ替えてしまった。
まあ、仕方がない。ユウトも、昔はヴァルが読み書きできないことをど忘れしたことがあった。日本で育っていると、文字の読み書きができない人がいるという認識自体が飛んでしまうのだ。
それ以上はなにも言わず、ユウトはヴァルトルーデからフリップとペンを受け取った。もう、出元や材質を詮索する気にもなれない。
「というわけで、夫婦チャレンジ、はーじーまーるーよー」
その宣言と同時にどこからかリズミカルなSE(効果音)が流れ、クイズが始まった。
問答無用に。
「それでは第一問。まずは、小手調べ。ユウトっちが一番好きな食べ物を答えなさい」
「簡単だ。ハ――」
「――ストォップ。なんで、ユウトっちが書く前に言うの? ルールを理解したって言ってたじゃん!?」
神すらも慌てさせる聖堂騎士(パラディン)。
さすがヴァルトルーデだと、ユウトは思わず感心してしまった。これは、あばたもえくぼというわけではなく、ユウトが地球生まれだからだろう。
神の前でのこの振る舞い。
ユウトと同じぐらいヴァルトルーデを大切に思っているアルシアがこの場にいたら、卒倒しているところだ。
「ユウトっち、ユウトっち。早く書いて!」
焦ったようなタイロン神とは対照的に、ユウトの動きは緩慢。明らかに気乗りしない様子で、それでも律儀に答えを書いた。少なくとも、迷いはない。
「書き終わりましたよ」
「はい! それじゃ、ヴァルちゃん。答えをどうぞ」
「ユウトの一番の好物。それは、ハンバーグだ」
「おお、ハンバーグ。挽き肉をこねて焼いてソースをかけたハンバーグ! それでは、答えは!?」
という声にあわせて、ユウトはフリップを立てる。
「ハンバーグ! ユウトっちの答えも、ハンバーグだ」
「よし」
両手を天へ伸ばし、嬉しそうに笑うヴァルトルーデ。
水着でやると、ビーチバレーの試合かと思ってしまう。こんなヴァルトルーデがいたら、試合になんか集中できないだろうが。
「じゃ、一問正解だね」
タイロン神がそう言うと、ユウトとヴァルトルーデの頭上に青い光球が出現した。これで、三問不正解する前に、同じく三問正解すればいい。
だが、手応えを感じて嬉しそうなヴァルトルーデとは対照的に、ユウトはやや苦い顔。
理由は簡単で、軽い不正を働いたからだ。
実のところ、ユウトはハンバーグが大好き……というわけではなかった。嫌いな物がない代わりに、食事自体にこだわりはない。だからこそ、ブルーワーズのある意味貧相な食事でも生活できたという部分はある。
そんなユウトが、貪るように食べたのがアカネのハンバーグ。
余程、印象に残っていたのだろう。ヴァルトルーデが好きなものと勘違いするのも当然。
そして、ヴァルトルーデがそう答えるだろうことを、ユウトは予想していた。それを書いただけなので、事実は異なっていたのだ。
タイロン神は気づいていないのか。
じっと見つめるが、神意はつかめない。
「……いやん。ウチを見つめて、どうするつもり?」
「どうもしません」
今回は見逃してくれるということか。
そう結論づけたユウトは、無理に当てにいくことは止めにした。
「んふふ~。それじゃ、第二問にいこうか」
「大丈夫だ、ユウト。なにを考えているか分からないが、私に任せておけ」
自信満々のヴァルトルーデへ、ユウトは優しく微笑んだ。ここから先、たぶん酷いことになるだろう。それでも、ヴァルトルーデがいれば絶対に大丈夫。
それは、そんな微笑みだった。
というユウトの感慨は置き去りに、タイロン神から二問目が言い渡される。
「第二問! ユウトっちが、ヴァルちゃんを好きになったのはいつ?」
「なるほど……」
「そう来たか……」
ヴァルトルーデとユウトは、思わず顔を見合わせた。
その答えは、赤毛の女帝を前にして語られていたような気がする。好きになったとまで直截的ではなかったが、まあ、そういうことだろう。
しかし、改めて聞かれると恥ずかしいし……困る。
「さあ、見つめ合ってないでないでユウトっちは答えを書く書く」
「……ちっ」
「舌打ち!? 神に向かって舌打ち!?」
タイロン神の抗議は聞き流し、ユウトはフリップに答えを書いていく。そんな蔑ろにされている状態だが、タイロン神は実に嬉しそうだった。美味しいとでも思っているに違いない。
「はい。ユウトっちが書き終わったね。それじゃ、ヴァルちゃん正解をどーぞ」
タイロン神の言葉から一拍置いて、ヴァルトルーデはためらいがちに口を開く。
「初めて会った時だ……そうだ」
「ほうほうほう。一目惚れ! イイ。甘酸っぱくて、イイ!」
なにが楽しいのか、タイロン神は身悶えまでして喜んでいる。神の威厳など、どこにもない。いや、そんなもの最初からどこにもなかった。
「じゃあ、ユウトっちの答えをどうぞ」
「出したくねえ……」
ラーシアにしか見せたことがない本当に嫌そうな表情で、ユウトはフリップを立てた。
「ユウトっちの答えは……『初対面の時』! ほうほう、初対面って書き方が、照れ隠しっぽくてイイネ!」
「その感想、いりますかねぇ?」
「いるよ。いりまくるよ」
「…………」
さすが、草原の種族(マグナー)の製造元。ラーシアよりも厄介だ。
「というか、リトナさんってかなりまし(・・)だったんだな……」
出藍の誉れというやつだろうか。いや、鳶が鷹を生んだのか。
「続けて、第三問!」
そんなユウトの評価など知らぬげに、頭上にふたつ目の明かりを灯したタイロン神が次の問題を読み上げる。
「ユウトっちが、ヴァルちゃんの好きなところはどこ?」
「ちょっと漠然としすぎじゃないですかね?」
「そぅお? じゃあ、ある程度近ければ正解ってことで」
「それなら……」
「その代わり、『全部』は禁止で」
「くっ」
これまた、ヴェルガを前にした告白でヴァルトルーデは聞いている。
聞いているし憶えてもいるが、要するに『全部』だったはず。
いきなり答えを潰されてしまった。
けれど、ヴァルトルーデは揺るがない。
「大丈夫だ、ユウト。私たちなら、どんな困難でも乗り越えられる」
「そうだけど……。もっと格好いい状況で聞きたかったな」
苦笑ではあったが、それでも笑みを浮かべてユウトは答えをフリップに書く。
「それじゃ、ヴァルちゃん。答えをどうぞ!」
タイロン神に促され、少しだけ迷いながらヴァルトルーデが形も触り心地も良い唇を開く。
「強いて言えば、魂……だろうか」
「魂! おお、なんかそういうの重たい!」
「お、重たい?」
タイロン神の評価に、ヴァルトルーデがうろたえる。
「重たいなんてことはないさ」
ユウトは、フリップを立てかけながらタイロン神の評価を否定する。
そこに書かれていた「ユウトのヴァルトルーデが好きなところ」は――
「『精神(生き様)』だ! こう、括弧書きにしたのが小賢しい感じ!」
「それが司会者の言うことかよ!」
図星を突かれ、ユウトが珍しく大きな声をあげる。しかし、この程度でうろたえるタイロン神ではない。その程度で、草原の種族(マグナー)の神などやっていられない。
「まあ、言葉は違うけど、言ってることは同じってことで、おまけで正解にしようかな」
「おお」
「これで、無理やりこんなことをやらせてるのとチャラで」
「無理やりの自覚、ちゃんとあるのかよ!」
……というツッコミはスルーして次の問題。
「さて、このままストレートで突破はなるのか。第四問!」
ユウトもヴァルトルーデも、固唾を飲んで続きを待つ。
「ユウトっちは、ヴァルちゃんとの間に子供が何人欲しいと思っているでしょう?」
「む」
どちらともなく、うなり声をあげた。
重要だが、難しい問題だ。
あまり多いと現実的ではないし、少なければ少ないで求めていないように見えてしまう。
「まあ、常識で考えれば分かるよな」
「はーい。余計なことは言わない言わない。信じよう、二人の愛を!」
愛を信じてはいるが、通じたかは謎だ。
それでも、ユウトが常識と感じる範囲での上限――三人とフリップに書く。
「ユウトっちが書き終わったので、早速ヴァルちゃんは正解をどうぞ!」
「うむ。三――」
ユウトは、安堵した。三人。実に常識的なところ。ちゃんと、こちらの意図を汲んでくれたようだ。
しかし、それは早計。あまりにも早計だった。
「――十九人だな」
「どっから出てきた、その数字!」
三十九人!
いくらなんでも不可能だ。常に三つ子だったとしても、十三年かかる。干支が一周していた。
……などという以前の問題だ。なにがどうなって、導き出された数字なのか。世界に十人もいないだろう大魔術師(アーク・メイジ)ユウト・アマクサの頭脳でも、ヴァルトルーデの思考をトレースできない。
「どこから? ユウトは、サッカー好きだろう」
「好きだけど……。だったら、十一人じゃないか?」
「なにを言う。それでは、試合ができないではないか」
「対戦相手もか! って、待て待て。それでも、二十二人だろ?」
「控えや審判もなしに試合が成り立つのか?」
「くっ。なんて正論だ」
スタメン十一人に控え七人が2チーム分。それに主審と副審二人で、あわせて三十九人。
ヴァルトルーデからすると、計算通りではないか。なにがおかしいと、なるのだろう。
しかし、他人からすると、もちろんおかしい。
「わは。うわははっはははははははっははははは」
タイロン神はと見れば、腹を押さえて大笑いしていた。遠慮もなにもない。全身全霊をこめた大笑いだ。
「うひっ。ひっひひっひひひひ。息が、息ができわははははははははは」
そのうえ、呼吸困難まで起こしている。ユウトとしては、「神様も呼吸するんだな」と見守ることしかできない。
「ひーひーふー。ひーひーふー。あー。笑った笑った。でも、不正解はふせーかーい」
ユウトたちの頭上に、今度は赤い光が灯った。
不正解を表す光。あと一問しか失敗はできない。
「むう。少し多すぎたか」
「少しかなー?」
「アカネやアルシアとも相談せねばなるまい」
「止めような」
非難の矛先がこっちに向くと、ユウトが懇願する。
「それじゃ、五問目行くよ!」
夫婦の問題はあとで解決してねと言わんばかりの司会進行。
タイロン神は、てきぱきと次の爆弾を投下する。
「ユウトっちのファーストキッスの相手は誰?」
キスではなくキッスという発音にちょっとイラッとしたが、ユウトは迷うことなくペンを走らせた。
これは、考えるまでもない。この茶番も、これで終わりだ。
「では、ヴァルちゃん。答えをどうぞ」
「アカネだろう?」
「ちょっと待った。え?」
ヴァルトルーデと書いたフリップを放り投げ、ユウトが回答者席から立ち上がった。勢いで、椅子が回転する。
一方のヴァルトルーデは涼しい顔。
「子供の頃にしたことがあると聞いているぞ?」
「それは……ノーカンじゃないか?」
ユウトとしては、このブルーワーズで生きると決めたあの時のキスこそファーストキスだと認識していた。それほど大事なイベントだと信じていたのだ。
「なかったことにするのは、アカネに申し訳が立たない。それに、過去は過去だ。そんなユウトも含めて、あ、愛しているのだからな」
「ヴァルちゃん、男前だーー。というわけで、泣いても笑っても泣いたり笑ったりできなくなっても最後の問題だよ」
ユウトたちの頭上には、青い光が三つと赤い光がふたつ。三問不正解する前に、四問正解する。そのクリア条件を満たすには、もう、失敗は許されない。
不穏な前置きに続いて、タイロン神が最後の問題を告げる。
「ユウトっちが一番好きなのは、誰?」
それは、意外な。
答えがひとつしかない問題。
聞き間違いかと、ユウトとヴァルトルーデは顔を見合わせ、次いでタイロン神へ視線を移動させる。
――と、「ウチ、めっちゃ粋なことした!」とドヤ顔を浮かべていた。ラーシアを思い出して、正直、イラッとする。
しかし、ここで引くようでは男ではない。
「書く必要もないな」
そう言って、ユウトはフリップとペンを投げ捨てた。
そのまま、ヴァルトルーデを立ち上がらせ、ぎゅっと抱きしめる。
「ゆ、ユウト?」
突然のことに驚くヴァルトルーデ。
その耳元で、小さく。けれど、伝えたい人には聞こえるようはっきりとした声でユウトは愛をささやく。
「ヴァル。愛してるよ、誰よりもヴァルを」
「し、知っているがな。なにせ、私も同じだからな」
少しは、さっきのガスの影響が残っていたのかもしれない。熱烈なユウトの告白にほだされ、ヴァルトルーデは普段なら絶対に口にしない言葉を告げる。
その効果は、絶大。
ヴァルトルーデを抱きしめる力がさらに強くなった。
鼓動が重なり、体温が伝わり、二人の境界が消え去っていくような感覚を共有する。
「ヴァル……」
「ユウト……」
このまま、ふたつの唇は重なっていたはずだ。
無粋な第三者さえいなければ。
「ピンポンピンポンピンポーン。大正解!」
間近から響いてきた声に理性を取り戻し、二人はばっと距離を取る。離れてしまった。
思わず、恨みがましい視線を向けてしまうユウトとヴァルトルーデ。
だが、タイロン神は涼しい顔。
「というわけで、素敵な景品をプレゼントだよ!」
「これは……」
ユウトとヴァルトルーデの前に突如として出現したのは、ペットボトルほどの大きさのカットグラスの容器。
精緻な細工が施され、きらきらと光を反射している。思わず目を奪われてしまう美しさ。この容器だけで、金貨一千枚は下るまい。
しかし、当然ながら、重要――そして、問題――なのは中身。
「子孫繁栄の霊薬(エリクサー)さっ!」
「ほー」
よく分かっていない口調と表情で、ヴァルトルーデがカットグラスの器を手に取った。
それを満足そうに眺めてから、タイロン神が効果を説明する。
「つまり、これを飲んで子作りすれば――」
「子宝に恵まれる?」
「――だけじゃなく、周辺一帯の出生率も三代に亘ってガンガン上がっちゃうよ! ガンガンいこうぜ!」
「……は?」
出生率が上がる?
確かに、人口は国力に直結する重要なファクターだ。非常に有用なのは間違いない。
間違いないが……。
上がる? 出生率が?
三代に亘って?
「ガンガン上がるって、どれくらいなんです?」
「いっぱい」
「アバウトだな!」
単純に子供を授かるというだけなら、この温泉だけで充分。報酬――クイズに答えただけだが――として与えられるのだから、それ以上の効能なのだろう。
しかも、タイロン神は『人間の出生率が上がる』とは言わなかった。つまり、人間やエルフ、ドワーフといった人に近しい種族だけでなく、牛馬のような家畜の類まで影響を受ける可能性がある。
まさか、ゴブリンのような悪の相を持つ亜人種族にまで影響はないだろうが、神の。特に、タイロン神のやることだ。反対に、そちらの出生率が下がるぐらいのことも起こりかねない。
そもそも、周辺とはどこまでを指すのか。もし、ハーデントゥルムの先、海まで影響範囲となったらどうなるか。
そんなところまでガンガンいかれたら困る。
それ以上に、この霊薬(エリクサー)の存在を賢哲会議(ダニシュメンド)に知られたらどうなるか。すさまじいことになる。それは間違いない。
「正確な効果を――」
「それじゃ、新婚旅行楽しんでね」
ユウトに最後まで言わせず、タイロン神は消え去った。
その数秒後、ユウトとヴァルトルーデは、クイズ会場から温泉へと転移していた。
水着で温泉に立っているヴァルトルーデは、旅番組のロケでもしているかのようだ。まあ、ヴァルトルーデがテレビなんかに出たら、美しさを再現できないことに耐えかねテレビ自身が自壊することだろう。
ローブが濡れているのを感じながら、ユウトはそんなことを考える。
「フェイのイタズラでも受けたかのようだ」
「イタズラには、間違いないだろうけどなぁ……」
夢だったのだろうか。夢にしたい。夢だったらいいな。
そう期待するが、しっかりとヴァルトルーデの手中に収められた霊薬(エリクサー)の存在が現実だと主張する。
「……どうするのだ、ユウト?」
どうするもこうするもない。
こんな危険物、使うことも表に出すこともできない。
「俺たちには、不要じゃないかな?」
……ということを、ユウトは遠回しに伝えた。
「うむ。そうか。そうだな!」
それを聞いたヴァルトルーデも快諾する。
子孫繁栄の霊薬(エリクサー)は、無限貯蔵のバッグの奥底に安置――あるいは放置――されることとなった。
この霊薬(エリクサー)とダンジョンの存在は、イスタス公爵家の後継者にのみ、口伝で残される最重要機密となる。
そして、秘密を知った代々の後継者は――
「これは外部に漏らせない」
――と、秘匿し続けることになる。
かくして、ハネムーンダンジョンは代々封印され続けるのであった。