香煙葉(ピィープ)交換の受付を開始して十分が経った。まったく人が来ない。
ノズウェルが売りに出しているものから大幅に相場を下げ、ベノル銅二つを基準に交換を受け付けると宣伝しているのだが、逆に安すぎて胡散臭く思われているのかもしれない。
ベノル銅とは、例の族長が奨励している通貨代わりの魔鉱石のひとつである。
ここの集落では、だいたい一握りサイズで日本円換算二百円相当として扱われている。
つまりノズウェルの香煙葉(ピィープ)が五千円、こっちの香煙葉(ピィープ)が四百円である。
低価格でのゴリ押しが駄目だとは思わなかった。
値段が問題ではない以上、無料で試品を配っても同じことか。
なんとかこの、『カルコ家が怖いから動けない』空気をどうにかしなければいけない。
一人の男がこちらの露店へと近づいてきた。
冷やかしか妨害かと思ったが、そんな雰囲気ではない。
男は行列に目をやってから、はぁと溜め息を吐く。
どうやらノズウェルの露店は交渉が遅いので、痺れを切らしてこっちに流れてきたらしい。
「……一束でベノル銅二つなら、これで四束頼めるか?」
男は、糸で括ったボウの干し肉の塊を俺へと見せる。
やった。
これで流れが変わるかもしれない。
「ええ、大丈夫ですよ。おまけして五束……」
「おい! お前! 顔は覚えたからな! どうなるかわかってるだろうな!」
ノズウェルが立ち上がり、吠えてくる。
男はノズウェルを見ると、俺からひったくるように香煙葉(ピィープ)の束を受け取り、干し肉の塊を置いて逃げるように走って行った。
「顔は覚えたって言っただろうが! クソが! 後悔させるからな!」
ノズウェルはそう喚いてから舌打ちをし、荒々しく椅子に座る。
やられた。
あっちから香煙葉(ピィープ)を買えばカルコ家に敵対していると見なすぞと、そう釘を刺された。
これであの行列から流れてくる望みがかなり薄くなった。
「アベルさん! やっぱり無理ですって! 一回引きましょう!」
シビィの言う通り、今からでも移動するか?
いや、しかし、客層をダイレクトに被らせなければカルコ家に大した損害を与えることができない。
ここで粘って転機を待つしかないか。
「……大丈夫だ、ジゼルが秘密兵器をふたつ持って帰ってきてくれるはずだ」
しかし、少しジゼルの帰りが遅い。
何かあったのだろうか。
「そのオーテム、なんなんですか? 俺、まったく聞いてなかったんですけど?」
「片方は、商売繁盛のまじないのオーテムだ」
ぶっちゃけた話、商売繁盛のまじないのオーテムに、魔術的根拠はない。
このオーテムの裏には決まった魔法陣を彫ることになっており、俺はその魔法陣を解析してみたことがある。
どう考えても意味があるとは思えない記号や半端な暗号化があり、解析は困難を極めた。
なんとか魔力の動き、働きをすべて調べ上げたのだが、全体の八割近くがまったく魔力干渉できない形になっているという恐ろしい事実が発覚した。
残りの二割も意味もなく魔力をぶんぶん回して消耗するだけの魔法陣だった。
これはヤバイ。
どれくらいヤバいかというと、冷蔵庫が動かないので分解してみたら電球のついた箪笥だった並にヤバイ。
照らしてどうする、冷やせ。
このような似非魔術的なものはこちらの世界にも多かったりする。
だが、そういう胡散臭いものは俺も大好きだ。
ひょっとしたら現在の魔術学では理解しきれないものすごい力を持っているのかもしれない。
そう考えると、なかなかロマンがある。
「……意味あるんですか、それ?」
「な、ないよりはマシだろ。俺はあれ、意味あるって信じてるけど? なんか文句ある?」
「兄様! 持ってまいりました!」
ちょうどそのとき、ジゼルがオーテムを二体抱えながら戻ってきた。
「ジゼル、よくやった! 時間が掛かっていたみたいだが、何かあったのか?」
「申し訳ありません……。実は父様に捕まってしまい、兄様に成人の儀の後片付けをさせろと……。そっちの方は、フィロさんに手伝ってもらってなんとかすぐに終わらせましたから、安心してください!」
……おおう。
するとあれか、俺は妹と族長の孫娘に成人の儀の後片付けを丸投げして逃げてきた形になっているのか。
父の疲れた顔が目に浮かぶ。
フィロにも謝っておかなければ。
「……す、すまないな。えっと……そのオーテム、絨毯の端と端に置いてくれ」
ジゼルは赤いオーテムを左端に、青いオーテムを右端に置く。
赤い方が商売繁盛のまじないのオーテムだ。
青いオーテムは動物の興味を引く力を持っている。
本来狩りなんかで、罠の一種や囮として使用するためのオーテムだ。
今は目立っていないから客が来ないのではなく、むしろ悪目立ちしているから客が来ないので、やっぱり大した効果は見込めないのだが。
「その……調子は……」
ジゼルは絨毯の上を見回し、言葉尻を濁す。
状況が芳しくないことを悟ったのだろう。
「……見ての通り、だな」
カルコ家の影響力をちょっと舐めていたかもしれない。
「で、でも、さっき片づけをしていたとき、ガリアさんが宣伝してくれていましたよ! 私も置きっぱなしになっていた試作品を配っておいたのですが、好評みたいでした! そろそろ来るかもしれません!」
俺を励まそうとしてか、ジゼルが捲し立てるように喋る。
なるほど、その辺りの人が来てくれれば、この空気も変わるかもしれない。
「おい、一束くれないか」
来た、二人目の客だ。
「はいはい……って……」
ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべる、オカッパ頭の青年。
どう見てもノズウェルです。ありがとうございました。
ついに自分の露店ほっぽり出して嫌がらせに来たのか。
「いやぁ……まさか、量産に成功していたとは知らなかった。誰が協力していたのか、後でチェックさせてもらわないと。ま、この調子じゃあ警戒する必要もなかったみたいだけど。で、どんな気持ちだアベルゥ? 当てつけみたいに横に店を出しといて、スッカスカなのはさぁ」
ノズウェルは背を屈め、俺に顔を近づけてくる。
クソ、普通にムカつく。
俺だって正直、ここまで惨めな思いをするとは予想していなかった。
このオカッパを吸殻捨て場にしてやろうか。
「露店で役立たずだからって、わざわざ冷やかしに来なくてもいいんじゃないですか? さっきみたいに喚くだけの犬でもできる簡単なお仕事はどうしたんですか? ついにリストラされましたかぁ?」
俺も負けじと顔を近づける。
ノズウェルは顔を離して袖で目を擦る。目に俺の髪が入ったらしい。
悪いな、お前みたいに整備された髪型じゃなくて。
「ハッ! カリカリするなよ。僕の扱ってる香煙葉(ピィープ)はぁ、僕のパパがカルコ家の伝統、技術を引き継ぎ、それを長い時間を掛けて昇華させたものなんだよ。ロクに香煙葉(ピィープ)も吸えないガキが調子に乗ったってこんなもんだろ。最初から目に見えてただろうに。なんだ、ギャグか? んん?」
な、なんだとこの野郎!
お前が交換し辛い雰囲気にしやがった癖に!
そもそも、まだ一人としか交換を成立させてないのに、香煙葉(ピィープ)の質は関係ないだろう。
俺が不眠不休で血を吐きながら作りあげた香煙葉(ピィープ)を、吸いもしない内から馬鹿にするなんて許さん。
「伝統? 技術? はっきりいってそっちの香煙葉(ピィープ)、コンセプトが見えてこないんだよ! 無難な型から適当にずらしてマシなのができるのを待ってるだけじゃないか。細かい部分はほとんどノータッチだ。いや、オーテム自体の個体差が大きすぎるから、弄れないんだろう。下手に触ると個々に差異が出過ぎてしまう! それだけ粗いやり方をしてるからだ!
魔力供給も嫌々やってるのが丸わかりだ。香煙葉(ピィープ)は生きているオーテムになるんだぞ。悪感情とストレスで燻った魔力なんて受け続けてたら、そりゃ葉だって不味くなる。それを無理矢理本来とは別のアプローチから上書きして誤魔化すのがお前のところの伝統か? 一回根本的なところからやり直してみたらどうだとお前のパパンに伝えてや……」
「アベルさん! 押さえて! 押さえて! 皆見てるから! 恥ずかしいから!」
シビィが俺を羽交い締めにした。
「放せぇシビィッ! 奴の御自慢の皿を叩き割ってやる!」
「落ち着いて! 落ち着いて! 気持ちはわかりますから!」
オロオロとしているジゼルと目が合った。
「ジゼル! シビィを剥がせ!」
「え! は、はいっ!」
「ちょっとジゼルちゃん! そこは従わないで! アベルさん止めるの手伝って! ちょっ、本当に! 脇腹触らないで! ちょっと嬉しいけど、後にして! お願い!」
どれほどもがけど、シビィはビクともしなかった。
そうこうしているうちに俺も冷静になってきた。
いけない、冷静さを失っては状況を悪化させるばかりだ。
「おいおい、ここの露店は客を殴るのか?」
ノズウェルは言いながら、ポケットから魔法陣の入った魔鉱石を取り出す。
カルコ家は魔鉱石貨幣を一切使わないはずだが、どうやら取り巻きの一人が間違って受け取ったらしい。
さっきそれで騒いでいるが聞こえてきた。
「アコレ銅だと、五束になりますが……」
「一束でいいといっている」
ノズウェルは言ってから、取り出したアコレ銅をぺろりと舌で舐め、俺のデコに貼りつける。
それからノズウェルは香煙葉(ピィープ)を一束掴み、からからと笑いながら俺から離れていく。
俺は怒りのあまり、数秒ほど完全に思考が停止した。
「にに、兄様に、なんてことを!! 放してくださいシビィさん! アイツを殺せません!」
ジゼルが先にブチギレた。
「落ち着いて! 本当に落ち着いて! とりあえず落ち着いて! 治まらなかったら後で殴ってもいいから、とりあえず十秒くらい数えてから怒って! それだけで大分違うから!」
ノズウェルは包みを外して香煙葉(ピィープ)を取り出し、地面に叩きつける。
それから足で、何度も何度も何度も何度も踏みつける。
「ふ~みふみふみふみふみふみふみふみふみふみぃー!!」
ノズウェルはこちらを軽く振り返った後、大声で笑いながら自分の露店へと戻って行った。
「あー超スッキリしたぁー! おいおいお前らぁ、手止まってるぞ! そんな調子じゃ、日が暮れても終わらないだろうが無能が!」
それから三十秒近く、俺達三人は無言だった。
ただ視線に殺意を乗せ、ノズウェルの背を睨んでいた。