Side:長野の兵
やっと夜が明けた。春になったとはいえ夜は寒かった。城内に入れる身分でもないおらたちは軒下で一夜を明かした。
かがり火はあったが、それも薪がなくなると途中で消えた。暖を取るものなんてなくて、同じ村の奴らと身を寄せ合って寒さをしのいでいたんだ。
北畠はいつ帰るんだろうか。村は荒らされたんだろうな。
「これっぽっちか」
「籠城だからな」
冷え切った体を温めるように動かしていると腹が空く。やっと朝飯かと思ったが、頂けたのは僅かな米と麦だけ。いつ終わるかわからない籠城なんだ。仕方ないのはわかっている。
持ってきた鍋で僅かな米と麦を集めて雑炊にする。水だって限りがある。まだもらえるだけありがたいと思うしかねえ。少しでも腹の足しにしようと、その辺に生えている草を入れた雑炊だ。
塩の味も薄いな。それに水が濁っていたんだろう。土の味もする。
「向こうは天幕がたくさんあるんだとさ」
「そんなわけあるまい」
「物見櫓の奴が見たんだと。雑兵も天幕の中で寝られるんじゃねえかって騒いでいたんだ」
そんなわけねえ。おらたちのような雑兵に天幕を貸してくださる御方なんて、いるはずがねえ。そんな御方がいるならおらでも寝返りたいほどだ。
北畠と因縁があるのは長野のお殿様だ。おらたちは関わりねえことだからな。
ああ、話をしているうちに、もう食い終わっちまった。ぜんぜん足りねえ。いつまで続くんだ。北畠が来なきゃ野山の野草を採って食えるのによ。田んぼだって田植えの支度をしなきゃなんねえんだぞ。
「奪うものなくなったら帰るさ」
「だな」
北畠との戦は昔からあったと聞かされている。勝っても負けても長引いたなんて話はねえ。みんな、あと何日かの辛抱だと諦めたように言っている。
おらん家、焼かれてなきゃいいがなぁ。家なんて建てる銭はねえ。また村のみんなで建てるんだろうが、それでも幾らかは掛かるんだ。
早く帰りてぇよ。
Side:柳生宗厳
拙者は織田家にて初陣を迎える者らを連れて参陣した。領内の戦がなくなった織田では外との戦で初陣を済ませねばならぬからな。
初陣を済ませておらぬ者には若い故にか血気盛んな者が多い。織田の大殿より拙者に任されたのだ。親や年長の者に戦の話を聞いておった者もおるようだが、聊か古い戦の話が多いらしい。
ここに来るまでも勝手に抜け駆けをしようと企んだ者や、北畠方の雑兵と口論になった者もおる。
「元気な子が多いわねぇ。ジュリアが喜びそうだわ」
関領より合流した夏様が視察に参られると、鍛練をしているそんな者らに微笑ましげな笑みを浮かべた。
ジュリア様やアーシャ様の教えを受けた者が多く、さすがにお方様に無礼を働く者はおらぬ。アーシャ様はまだいいが、ジュリア様は遠慮なさらぬからな。生意気な者など立てなくなるまでしごかれるからな。
「申し訳ありませぬ。まったく戦が起きぬことで面白うない者が多ございまして」
「いいのよ。それもまたひとつの経験になるわ」
穏やかな笑みを浮かべておられるが、お方様がたは武芸も出来る。元服したばかりの童など物の数ではあるまい。
「お方様! 某に槍の手解きお願いします!」
「貴方、名前は?」
「前田又左衛門でございます!」
ああ、ひと際血気盛んな者がまたやらかしたか。ジュリア様のしごきを受けても懲りぬ男。前田利久殿の弟である前田又左衛門利家。恐れもせずに夏様に直言しおった。
「この無礼者が! 身の程をわきまえろ!!」
「いいのよ。少し相手をしてあげるわ。戦場にきて待っているばかりで面白くないわよね」
共に視察に来られておる武官らが激怒したが、夏様は変わらぬ笑みのまま引き受けてしまわれた。ちょうど革の軽鎧を着ておられることもあり、鍛練用の槍を手に取ると又左衛門と対峙された。
武官らは怒りの様子であるが、又左衛門は気にする素振りもない。あの男は大物になるやもしれぬ。
「はっ!」
先に動いたのはやはり又左衛門だった。ジュリア様にしごかれて以降、腕を上げておるな。遠慮せず踏み込んだ。
「えっ!?」
しかし、又左衛門が打って出た時、ひとりの侍女が小さな石を投げると、又左衛門は驚き夏様から目を逸らし侍女を見た。その隙を夏様は遠慮なく突いてしまわれた。
「なっ!?」
「周囲にも気を配らないと駄目よ。戦場ではどこから矢玉が飛んでくるかわからないもの」
拙者も知らされておらなかったので驚いたが、夏様の仕込みか。してやったりと言わんげな笑みをうかべておられる。
それに武官の者らが大笑いした。
「卑怯でございます!」
「……又左衛門殿。戦場で卑怯などと言うのは愚か者と敗者だけよ。乱戦になれば雑兵だって如何なる手を使っても勝とうとするものよ。敵が貴方の思う通り動くなんて思っては駄目」
笑いものにされたと思うたのだろう。又左衛門は顔を真っ赤にして夏様に異を唱えるが、夏様の顔から笑みが消えると固まったように動けなくなる。
上手いな。血気盛んな又左衛門を嗜めつつ戦場ならではの鍛練をさせようとは。
「石だと危ないわね。泥団子でやりましょうか。次、誰かやりたい人いるかしら?」
「丹羽五郎左衛門尉でございます。お願いします」
次は五郎左衛門尉長秀か。又左衛門と違い真面目な男だ。武芸のみならず学問でも優れており織田の若殿の近習に抜擢されたほど。
「いい、左右も背後も貴方を狙っていると思いなさい」
「はい!」
数人の者が泥団子を手にいつ投げようかと窺う中で格上の相手と戦うのは難しい。これは戦場を知るにはいいのかもしれぬ。
その後、夏様は数名の相手をされて以後は拙者に任せて戻られた。
血気盛んな者らの扱いがなんとも上手い御方だ。
Side:久遠一馬
春を迎えた織田領では各地から冬期間の報告が入っている。北美濃あたりはまだ雪が残るところもあるらしいが、餓死や凍死は大きく減ったようで一安心だ。
北と東美濃には街道整備を優先して賦役を行ってもらうことになる。雪の少ない地域では冬の間も賦役にて街道整備と山の手入れと炭焼き技術の伝授を行っていたが、春になり本格的な賦役を始める。
三河の矢作川流域も作付けが可能な状態にはなったらしい。みんな頑張ってくれたようだ。矢作川の流れを変える工事は一部で始まっているが、こちらは完成にはまだまだ時間がかかる。
尾張は一番順調だ。川には橋がかかるところが増えたし、街道整備もだいぶ進んでいる。田畑の肥料を魚肥にすることもだいぶ進んでいて、入会地を畑にするところも出てきたほど。
ウチでは新しい屋敷の建設もだいぶ進み、庭の一角にある畑を耕し始めたところだ。この日もウチの屋敷に遊びに来ていた吉法師君は、そんな畑を耕すオレを不思議そうに眺めていた。
「かじゅ?」
「ここを畑にするんですよ。若様もやってみますか?」
「うん!」
なんにでも興味を示す頃だ。鍬は重いので小さなシャベルで土を耕すことをさせてみる。お付きの吉二君たちも一緒だ。
大人の護衛の皆さんがハラハラしているが、子供たちには多くの経験をさせてあげたい。もちろん信長さんの許しは得てある。
「もうすこししたら芋を植えますよ。皆で植えましょうか」
ウチにくると目新しいことが多いので吉法師君がよく遊びに来る。城も嫌いというわけじゃないんだろうが、子供ながらに身分というものを一番感じないのがウチなんだろう。
ウチの屋敷にいる家臣の子供たちも交えて一緒に遊ぶことがあるからね。
伊勢はどうなっているだろうか? 格差が軋轢にならなきゃいいけど。
「かじゅかじゅ」
「よく出来ましたね」
ふと西の方角を見ていると、シャベルで掘り起こした畑をオレに見て見てと駆け寄る吉法師君がいる。
頑張った時には褒めてあげるし、悪いことをしたら叱ることもしている。信長さんとか政秀さんとも話しているが、それでいいと言われているんだよね。
信長さん自身の幼い頃よりも身分が上がって自由が減っている。それでも吉法師君には大きく育ってほしいと願っているんだ。
今度は牧場にも連れて行ってあげよう。あそこなら友達もたくさんできるはずだ。